【同世代対談Vol.5】松坂世代 藤川球児×森本稀哲×杉内俊哉「ライバルばかりだった若手時代」

野球

2021.1.4

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プロ野球界には同学年に超一流選手が集う稀有な世代が存在する。松坂大輔を筆頭に数々の日本代表を輩出した1980年生まれの「松坂世代」。岩隈久志などMLB選手4人を輩出しイケメン揃いの「81年世代」。

田中将大や坂本勇人など今の球界を牽引する「88年世代」。奇しくもこの3世代の選手はこのオフ人生の転機を迎えた。同級生が再会を果たした時、戦友にだからこそ言える、話せる真実が明らかになる。


見えない絆が生まれるまで

プロ野球史上、最高の世代とも称される「松坂世代」。多くのスターが生まれたこの世代の選手たちも気が付けばベテランと呼ばれる年齢に差し掛かり、今季は藤川球児がユニフォームを脱いだ。

先に現役を退いた同世代の森本稀哲と杉内俊哉を交え、高校・現役時代の思い出やお互いへの思い、そして世代を牽引し続けるあの男へのメッセージ――この3人にしか語れない黄金世代への思いを語ってもらった。


見渡す限り、ライバルばかりだった若手時代

「昭和55年会で集まって試合やりたいよね!」――

3人がキャッチボールをするシーンの撮影中、森本稀哲が2人に対しこう提案した。

現役を退いたばかりの藤川球児は「いいね!やろうやろう!!」とノリノリで、引退後、コーチに転身した杉内俊哉は「(身体を作るのに)3ヶ月はないとなぁ......」と慎重に語るなど、森本の提案へのリアクションは様々だったが、昭和55年会の仲の良さは現役時代から何一つ変わっていないように思える。

3人が生まれた昭和55年とはズバリ、松坂世代のことを指す。その名の通り、松坂大輔を筆頭にプロ野球界で活躍した選手が多く輩出された世代でプロ野球史上に残る屈指の黄金世代としても知られている。今回集まった藤川、森本、杉内もこの世代の代表とも言うべき選手たちだ。

今でも交流が続いている3人を繋ぐ「松坂世代」というくくり。特定の人物だけがクローズアップされる世代の称号だけに嫌悪感を示すものも少なくないが、森本はこの世代の仲を「見えない絆」と評した。

「若い頃は(同級生には)負けたくないって思っていたし、松坂とかに対してもより強い気持ちがあったけど、27~28歳くらいになると、もう半分以上が辞めていって。気が付いたら、球児(藤川)やトシ(杉内)に対して『お互い頑張っていこうな』って。あまりしゃべったことなかったのに」

松坂世代に当たる1980年4月~1981年3月生まれの選手でプロの扉を叩いたのは94人。

一時は「どこにいても同級生ばかり(森本)」という状態を経験し、その中で切磋琢磨してプロの世界で生き残ってきた3人だからこそ、単なるライバル関係とも友情ともまた違う感情が芽生えたのかもしれない。

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周りが見えなくなってしまう、ブレイク時期

高校を卒業してからプロの世界に入った藤川と森本と比べ、社会人野球を経由してダイエー(現ソフトバンク)へ入団した杉内は約3年の差があったが、この3人がブレイクを果たしたのはくしくも2003年~2006年の間に集中している。

例えば、杉内は入団2年目の2003年に日本シリーズで2勝を挙げ、先発ローテーションを担う存在に成長すると、藤川はプロ7年目の2005年に自身初タイトルの最優秀中継ぎを受賞。

翌2006年には8年目を迎えた森本が自身初の規定打席到達、チームも日本一に輝いた。同級生の活躍が続く中、ケガに見舞われて出遅れていた藤川は当時をこう語ってくれた。

「チャンスはあるけど、タイガースの監督って任期が短いから、すぐに結果を求めるので若手を使う余裕がなくて埋もれていた。

僕もトレード候補になったけれど、当時の岡田(彰布)監督が断ってくれたから今がある。使われだした当時は周りが見えなくなって、ただガムシャラにやっていただけだったな」

「周りが見えなくなる」という体験は同じ時期にブレイクした森本も経験したという。

「よくさ、『チームのために』って言うけれど、それはある程度経験した選手がやることで、若手で一気に行かないといけない時だからこそ、周りが見えなくなるくらい走る時期が必ず来る」3人とも、そうした下積みの時代があったからこそ、現在の成功につながったのだろう。


文/五十嵐宇宙