【同世代対談Vol.3】岩隈久志×川﨑宗則 イチローとの食事は『根性巻き』で悶絶!?

プロ野球界には同学年に超一流選手が集う稀有な世代が存在する。松坂大輔を筆頭に数々の日本代表を輩出した1980年生まれの「松坂世代」。岩隈久志などMLB選手4人を輩出しイケメン揃いの「81年世代」。
田中将大や坂本勇人など今の球界を牽引する「88年世代」。奇しくもこの3世代の選手はこのオフ人生の転機を迎えた。同級生が再会を果たした時、戦友にだからこそ言える、話せる真実が明らかになる。
投手と野手、異なるポジションの選手でありながらまるで写し鏡のように同じ経歴を歩んだ岩隈久志と川﨑宗則。若くしてチームの主力となり、侍ジャパンの一員となり、そして同じ年に海を越えてメジャーリーガーになった。
そんな2人だったが、今オフで岩隈が現役を去り、現役を続ける川﨑と別の道を行くことになった――今だからこそ話せるお互いへの思いを語ってもらった。
まるで写し鏡のような2人
岩隈久志と川﨑宗則、同じ1981年生まれの野球選手ということ以外は特に共通点がないように感じる二人だが、実はよく似た経歴を持っている。
高校時代はともに甲子園には縁がなく、高卒でプロ入り時した際は川﨑が4位、岩隈が5位という下位指名。しかも指名された球団はダイエー(当時)。
一軍デビューも2年目の2001年シーズンで、海外FA権を行使してシアトル・マリナーズへ移籍したのも2012年......まるで写し鏡のようにほとんど同じような経歴を歩んだだけに、所属チームが被ったのはマリナーズでのたった1年だけだったが、通じるところが多かったのだろう。
「再会」というの今回のテーマだが、2人とも「(久しぶりに会っても)お互い特に変わってないよね」と笑って答える。あえての違いを探すと?と突っ込むと、ようやく川﨑が「ヒーちゃん(岩隈)が野球を辞めたことかな」と口にするくらいだった。
パ・リーグのチームに指名されてプロ野球選手になり、侍ジャパンのユニフォームを着て世界一に輝き、さらにアメリカではチームメイトとなり、日本に帰国するとプロ野球の世界に戻ってきた。
ここまで全く同じだった2人が初めて変わったのが、岩隈が今季限りで現役を退いた一方、川﨑は独立リーグ、栃木ゴールデンブレーブスで今もなお現役を続ける野球選手であることだ。
異なる思いを秘めていた2009年WBC
岩隈と川﨑が初めて同じユニフォームを着たのは2009年のWBC。ともに侍ジャパンに選出された2人だが、この時はさほど会話がなかったという。
「この時は投手と野手は完全に別で、球場に行って初めて一緒になるくらい。投手だと松坂(大輔)さんがアテンドしてくれて、食事とかにいきましたね」と岩隈が語れば、川﨑もそうしたアテンド役を買って出た野手の選手たちと行動を共にすることが多かったという。
前年の北京五輪でも代表に選ばれながら、思うような結果が出せなかった岩隈はこのWBCでは「自分のできることをやって楽しもう」という気持ちだったというが、2006年に開催された前回大会でも代表入りしていた川﨑には「2連覇の重圧」があったという。
「最初ころはメディアの煽りがありましたね。『連覇だ』『優勝だ』というね、なんか変な感じでしたよ」
この大会のハイライトと言えば、なんといっても決勝の対韓国戦。
先発のマウンドに上がった岩隈は「投げる前まではものすごい緊張しましたけど、マウンドに上がってからは普段通りでした」と振りかったが、チャンスで代打として登場した川﨑は今でこそ「イチローさんの伝説を作りました」と笑って語ってくれたが、当時は「何してくれてるんだ!?」と自身の凡退を悔いたという。
それだけに兄貴分のイチローが決勝打を放った際は「ダルビッシュ(有)と一緒に感謝感謝でしたよ(笑)。優勝した後のシャンパンファイトでも一番盛り上がった」と、背負っていた重圧を下したことでその喜びが爆発した。
ちなみにこの2人は後にマリナーズでイチローとはチームメイトになったが、そのイチローとの食事でこんなエピソードを話してくれた。
「イチローさんと最初、寿司を食べに行ったときですが......イチローさんの寿司のわさびが多いこと(笑)(川﨑)」
「『根性巻き』って言うらしいんですけど、わさびだけを巻いた海苔巻きがあって。イチローさんのお任せで僕らは食べていく中でイチさん(イチロー)が『大将、刺激くれないか?』ってあの感じでオーダーするんですよ。僕らは何も知らないで食べるから、ウワ~ッってなっちゃって(岩隈)」
イチローにとっても自身を慕い、WBCでともに切磋琢磨した川﨑や岩隈が海を渡ってやってきたことを喜んだに違いない。
文/五十嵐宇宙