ソフトボール日本代表・藤田倭 “二刀流”で日本の二枚看板へ成長するまでの苦しみ

そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない
ソフトボール選手、藤田倭。
来たる東京オリンピック、日本代表の主軸の一人。あの上野由岐子に次ぐ存在と言っていい。
所属先はビックカメラ高崎。かつての日立高崎が運営資金に苦しみ、身売りする形で2015年に生まれた。藤田は今年、チームの勝ち頭。12チームで競う日本リーグ1部で4勝を挙げている。
藤田はかつて太陽誘電というチームにいた。脚光を浴びたのは2016年のシーズン。まずは投手として最多勝に輝く。加えて打者としてホームラン王と打点王にもなりMVPを獲得。大谷翔平に先んじて二刀流の大活躍を見せた。
ソフトボールは大好きなお兄ちゃんの影響で始めた。とにもかくにも人懐こい性格ですこぶる親しみ易い。6歳でソフトボールを始めスカウトされて強豪・佐賀女子高校へ。
その高校時代、世界一をつかんだ上野由岐子の投球をテレビで見た。日本が金メダルに沸き立つ中、実業団に入社した藤田。しかし時を置かず、ソフトボールはオリンピック競技から外れ世間の関心も薄れていってしまう。
このままではソフトボールの火が消えてしまう。オリンピック復帰への嘆願活動は危機感の表れでもあった。
3年前の忘れられない試合
2012年、21歳での初代表。当時は投手一本。年を追うごとに力をつけ2014年から二刀流に。
日本代表でも先発投手陣に加わり世界選手権の連覇に貢献した。今や上野と並ぶ日本の二枚看板と呼ばれるまでに成長した。
【動画】女子ソフトボール日本代表・藤田倭 8年間の密着取材
朗報が届いたのは5年前のこと。東京での開催に合わせ、待ちに待ったオリンピックへの復帰が決まる。
迎えたオリンピックイヤー。ビックカメラ高崎の沖縄キャンプ。あの大谷翔平もそうなのだろう。二刀流はとにかく時間に追われる。
まずは投手として200球近くを投げ込み、それが済むと休む間もなくバットを握り、打撃練習を3時間。守備練習を休めないから活動量は他の選手の倍以上。昼飯にありつけないこともある。
貴重な時間を割いてくれたインタビュー。ある質問を引き金に、胸に深く残る傷跡を知ることになった。
きっかけは3年前、地元日本で行われた世界選手権。日本の鍵は、上野に次ぐ二番手の先発だった。
日本は準決勝で前回大会の優勝チーム、宿敵アメリカと当たる。宇津木監督は上野の温存と二番手投手の台頭をにらんで決断を下す。それが藤田だった。
ソフトボールには準決勝で負けても敗者復活戦を勝ち上がれば決勝に進めるという特有のルールがある。宇津木監督はそこを踏まえて上野を休ませ、藤田に賭ける策に出たのだ。
だが当の藤田にはそれが心の隙になっていた。
「私が打たれても・・・」
そんな気構えで抑え込めるほどアメリカは甘くない。期待と信頼を裏切ってしまった自分。結果、日本は銀メダルに終わった。
翌年のリーグは投打に精彩を欠き、惨憺たる成績に。何かを変えなければこの暗闇は抜け出せない。
強豪チームへ移籍の決断
そう思った彼女はある決断をする。より厳しい道を歩み自分を高めるため、今年1月、日本一のチームであるビックカメラに移籍を決める。
日本代表が揃う強豪チームで一から競争すると決めた。上野由岐子の存在ももちろん決め手のひとつ。そばに近づいて、徹底的に吸収したいと思った。
4月、開幕した日本リーグ。二刀流、藤田倭に思わぬ機会が巡ってきた。
上野由岐子がケガで離脱。大事な試合で先発を任された。
この日の藤田は圧巻の内容だった。日本を背負うようつけられた倭という名。くぐり抜けてきた苦しみの日々を必ずそこで、光に変えたい。