【日本ダービー】「シンザンを超えろ」を合言葉に 名門牧場が目指す 50年ぶりのダービー制覇

その他

2023.5.27


3歳馬7708頭の頂点であり、競馬界最高の栄誉である日本ダービー。

このタイトルを手にするために今年も人馬ともに熱い戦いを繰り広げるが、その熾烈な戦いを勝ち抜いて夢の舞台へエントリーしてきた各馬に秘められたエピソードや関係者たちの知られざる想いに迫った。

皐月賞3着から巻き返しを狙うファントムシーフ。「伝説の三冠馬を超える」ことを目標にした名門牧場の挑戦とは

vlcsnap-2023-05-27-22h13m56s147.jpg

「シンザンを超えろ」を合言葉に

「主役不在」と称されていた今年の皐月賞。その中で1番人気に支持されたのは、谷川牧場で生産されたファントムシーフだった。

2歳6月に迎えたデビュー戦を快勝すると、野路菊Sでも番手から抜け出して2連勝。3歳になるとクラシック登竜門とされている共同通信杯を先行抜け出しで勝利して重賞初制覇を飾ると、一躍クラシック候補として注目されるようになった。

ファントムシーフが生まれたのは北海道浦河町にある谷川牧場。

vlcsnap-2023-05-27-22h12m50s376.jpg

100年を超える名門牧場で戦後初の三冠馬、シンザンが現役引退後に種牡馬として繋養された牧場としても知られている。それだけに4代目となる谷川貴英代表にはシンザンへの熱い思いがある。

「昔のJRAのPRに『シンザンを超えろ』というキャッチフレーズがあったけれど、谷川牧場の目標も『シンザンを超えろ』。もっとたくさんいい馬はいるかもしれないけれど、谷川牧場として馬を生産している限り、日本ダービーや三冠を取るのは夢です」

vlcsnap-2023-05-27-22h13m04s946.jpg

谷川牧場の生産馬がそんな夢に届いたのは今から50年前の1973年に行われた日本ダービー。先代の代表である谷川弘一郎氏が生産したタケホープは当時国民的アイドルホースとなっていたハイセイコーを力でねじ伏せてダービーを制した。

そうして谷川牧場は浦河を代表する名門牧場となったが......4代目の谷川氏を待っていたのは試練の日々だった。

「自分が後を引き継いでから、いきなり馬が走らなくなった」

それまで毎年コンスタントに20勝以上挙げていた谷川牧場の生産馬だったが、代替わりした1990年からは勝ち星が激減。10勝にも満たない年が続き、日本ダービー制覇どころか出走すら叶わない年が続いた。

「理由は繁殖(牝馬)の入れ替え」と谷川氏は当時を振り返り、こう分析した。繁殖牝馬は年に1頭しか子供を産めない上、繁殖牝馬としてのピークにも年齢の壁がある。そのため毎年繁殖牝馬を入れ替えていく必要があるが、それがスムーズにいかなかったという。

「生産者として、日本ダービーを勝つのは夢。自分の代でも日本ダービーを獲って、父(弘一郎氏)を表彰台に立たせてあげるのが夢」

タケホープの栄光をもう一度――谷川氏は夢の実現のため、海を渡った。

vlcsnap-2023-05-27-22h14m02s706.jpg

運命の出会いを果たしたルパンII

谷川氏が海を渡った理由は繁殖牝馬のセリ市に参加するため。より良い繁殖牝馬を求めて、毎年のように海外のセリ市へと足繁く通い、そしてファントムシーフの母、ルパンIIに出会った。

「実はルパンⅡは当初チェックリストに入っていない馬で、他の牧場の方が目を付けていたんです。でもその方が別の馬を買ったので、こちらがセリで購入した。本当に縁ですね」

この数奇な縁で2020年、ファントムシーフが生まれた。だが、生まれた当時のファントムシーフは誕生から2時間、立ち上がることができなかったという。スタッフの藤本浩史氏はこう振り返る。

「立てないから心配したけれど、元気に立ってくれてよかった」

vlcsnap-2023-05-27-22h14m18s958.jpg

前職は福岡県でサラリーマンとして19年も勤務していたという異色の経歴を持つ藤本氏は自身が担当する馬が日本ダービーに出走するのはこれが初めて。

「この感覚を味わいたくてこの業界に入ったけれど、こんなに緊張感が高まるとは思ってなかった」と幼少期から見てきたファントムシーフが日本ダービーに出走する喜びを口にした。

生まれてすぐに活発に動いていたという幼少期のファントムシーフだったが、谷川代表にはある気がかりがあったという。

若駒の後ろ脚を鍛えるための秘策

「バランスがいいので走ると思ったけれど、トモが少し小さいのが気になった」という谷川氏。

後ろ脚の筋肉である友を鍛えるために谷川氏が行ったのは牧場を立て直すために大きく広げた放牧地を走らせることだった。昼だけでなく夜も放牧することでファントムシーフの成長を促すとともに、馬たちの成績も上がっていった。

「放牧地には坂があるから、そこを走れば鍛えられると思った」という谷川氏。

活発な馬だったからこそ小さかったトモを鍛えるのにはうってつけだった。そして成長を遂げたファントムシーフは調教主任の新井義典氏に調教を付けられた。

「自分でグイグイ行くタイプでかなり良かった」と新井氏が振り返ったように期待値の高かったファントムシーフはその期待に応えるようにクラシック戦線でも活躍する馬に成長。

vlcsnap-2023-05-27-22h14m51s624.jpg

そして、皐月賞を1番人気で迎えたが......結果は惜しくも3着。道悪馬場に脚を取られ、落鉄するというアクシデントにも見舞われた。

レース直後、関係者の前で谷川氏はこう語った。

「1番人気で負けるのは本当に悔しい。向こう正面で落鉄して踏ん張りが利かなかった。GIは運も縁も全て備わらないと勝てないというのを実感した。だけど日本ダービーに向けてまた、応援のほどよろしくお願いします」

あのタケホープから50年―― 谷川牧場の悲願を胸にファントムシーフがリベンジを誓う。