羽生結弦 9歳の自分へ “決意の儀式” 北京五輪もう一つの演技

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2022.7.26


羽生結弦 写真:YUTAKA/アフロスポーツ

フィギュアスケート男子で冬季五輪('14年ソチ、'18年平昌)2連覇を達成した羽生結弦(27=ANA)が19日(火)に都内ホテルで記者会見を開き、競技からの引退とプロのアスリートとしてスケートを続けていくことを表明した。

会見直後のこと。羽生結弦は私たちの独占インタビューに応じてくれた。

羽生結弦「自分って必要とされてないのかなって思った時期も正直あって。羽生結弦、早く引退しろって言われてるのかなって思って辛いこともありました」

世界の頂点を極め世界中を魅了してきた羽生結弦がそんな思いをしていたなんて。

寄せられる期待をただ抱きしめて、苦しみは人に見せられない王者の孤独。

それでもやり切れたのは信じる人の大切な教えがあったから。


羽生結弦 Photo by Annice Lyn/Getty Images

羽生結弦の最後の大会となった北京オリンピック。

この演技のあと、羽生結弦はカメラにそれまで決して見せなかった顔を見せることになる。

挑戦した4回転アクセル。競技者として、オリンピック3連覇に挑む戦いでもあった。前人未到の4回転アクセルは成功とはいかず、結果は4位。初めての表情を見たのはその直後のことでした。

フィギュアを始めたころの恩師・都築章一郎先生からのメッセージ。

「4回転アクセルに挑戦する姿、本当に涙がこぼれました。本当によくやった」


羽生結弦 写真:森田直樹/アフロスポーツ

今にも泣きそうな表情。羽生結弦という生き方の真実がそこにあった。

7歳からの8年間、フィギュアのいろはを教えてくれた人。毎日繰り返す練習が必ず技に結びつくと教えてくれた人。

都築先生「小さい時はやんちゃぼうずで、(周りの)お兄さんとよく喧嘩して泣いていた。小さい時をよく見ているから。ものを追求することへの考え方はその時から今も変わっていない」

かつてのインタビューで羽生は「いろいろな先生方に見ていただいているのですが、都築章一郎先生が恩師。僕を作り上げてくれた人。僕の基礎を作ってくれた人。それをしっかりと誇りとして持ちながら滑りたい」と語っていた。

フィギュアスケートの芸術性は体と技を鍛え抜いたアスリートだから表現できる。

都築先生はそうも教えてくれました。

その後、手にした2つのオリンピック金メダル(14年ソチ五輪、18年平昌五輪)。すると羽生は次の目標を4回転アクセルに定める。

たとえそれが、どんなに険しい道のりでも、都築先生の言葉があったから。

羽生結弦「都築先生が『アクセルは王様のジャンプだ』と言っていたことがあって。そのアクセルと得意として、そして、大好きでいられることに感謝しながら4回転アクセルを目指したい」

残念ながら北京五輪でその思いは叶わなかったが、フリーの演技から8日。


羽生結弦 写真:YUTAKA/アフロスポーツ

羽生結弦はスケートリンクに立った。

会場に流したのは5年前、22歳のときに演じていた曲。次はジュニア時代、12歳で挑戦したプログラム。

フィギュアスケーターとしての自分を確かめるための儀式に見えた。

一曲終わると次の演技へ。

羽生結弦が辿ってきた道を羽生は滑り続けた。

もしかしたら羽生はこの時、競技者としての自分に別れを告げていたのかもしれない。

9曲目。最後の曲は平昌五輪で滑った「SEIMEI」。

「心の赴くままにスケートをしました。自己満足かもしれない。自分の中でやりきれたなって。今でも平昌五輪の最後のコレオステップの時は、あの瞬間は絶対忘れない。一生忘れない。自分の全力を込めたステップシークエンスをみせることができてよかった」

羽生結弦の自分を辿る旅はこうして終わりを告げた。