花巻東 女子硬式野球部 投手コーチ・元ヤクルト 松岡弘「(背番号の)88歳まで現役で頑張りたい」
2024.8.29
「令和でも語りたい昭和な人たち」#2 ~松岡弘(ヤクルト)~
球場には妙に溶け込んでいる。でもその場には似つかわしくない180センチを超える大男。8月3日。
100年を迎えた甲子園球場。胸に「花巻東」、背番号「88」のユニホームをまとった人物の名は、松岡弘。77歳。言わずと知れたヤクルトの大エースである。
その日は第28回全国高校女子硬式野球選手権の決勝戦「花巻東―神戸弘陵」が行われていた。
松岡さんは、花巻東の投手コーチとしてベンチに入っていたのだ。とにかく頭一つ以上大きいので目立って仕方がない。
試合前、「頑張れメール」を送るとすぐに返信が届いた。
「今、球場入りしました。懐かしいですね。通路などは全く変わっていてわかりません!ただ、球場内は面影一杯です。甲子園球場のベンチ入りだけで興奮しました!思い切り声を出し生徒達を盛り上げますので?画面越しの応援宜しくお願いします!」
スワローズ一筋18年で660試合に登板、通算191勝190敗41セーブの記録を残した鉄人エース。
1978年には球団初のリーグ優勝、日本一に貢献し、沢村賞にも選出された。名球会まであと9勝だったが、「190敗もしたら普通は使ってもらえない。この数字を誇りに思っている」と語っている。
そんな松岡さんと親交が深まったのは1992年から。
筆者が新聞社からテレ東に移り、スポーツニュース番組や野球中継で行動をともにする機会が増えてからだ。
松岡さんはスタッフにはとても気さくに、そして優しく接してくれた。ただ、自分の主張は曲げない。
解説する試合のポイント選定などで、「松岡さん、それは視聴者にはわかりにくいですよ。尺(時間)も短いし」と言うと「いや、ここがポイントだから。ここで」と譲らない。
そしてビッシリとメモを書き込んでOAに臨むのだが、そういうケースは"撃沈"することが多かった。
OA後、社内で反省会をしただけでは終わらない。さらに松岡さんの自宅近くの中華料理店に場所を移し、野球の話は明け方まで続いた。一度、勢いに乗ると止まらない。
そして「1日も早くコーチとしてもう一度プロの世界に戻って、恩返しをして下さい」とスタッフから声があがると「締め」となった。
松岡さんは1998年までテレ東の解説を務めた後、しばらくあって2003年からヤクルト二軍投手コーチに就任した。1986年ー1989年以来のコーチとしての現場復帰だった。
その後はクラブチームの監督、大好きな釣りの知識を生かせる管理釣り場の支配人などを経て、学生野球の指導者になるための講習を受講し2014年に学生野球資格の回復が認定された。これが花巻東へとつながるきっかけとなる。
以前から親交があった北照(北海道)の河上敬也監督(当時)に請われ、同校の非常勤投手コーチに就任。
ここで高校、アマ球界での指導法、人脈作りなどを新たに学び、それが大きな財産となった。
「その時の人間関係の縁で、花巻東の話も頂いた。来てくれって。この年で。よく呼んでくれたよ。そりゃうれしいよ。でもそれよりびっくりしたよ」
2023年4月から特別アドバイザーとして女子硬式野球部と関わり、今年の4月から投手コーチとなった。
東京から月に2週間ほど岩手まで出向いてグラウンドに立つ、という。交通費などの実費は支払われるが、報酬は0円だ。
「おれがいらない、って言ってるから。もらうと責任になっちゃうし、こっちは遊び?で来てるんだから。それでよければ、という感じでね。何をするというより、こっちが選手からエネルギーと刺激をもらってます」
決勝が始まる。先発は背番号10の千葉穂乃果(3年)。昨年まで捕手だったがヒザを痛めたため、投手専任になった。
今大会はエース番号1を背負う菅澤陽向(3年)との両輪で、厳しい試合を勝ちあがってきた。起用法について、松岡さんは自分から進言することはない、という。
「それは監督の仕事だからね。私の仕事は試合で力を出せるようにしてあげること」
5回まで両軍0行進の投手戦となった。
「千葉は向こうっ気が強い。ある程度実績があるから、多少舞い上がっても何すればいいかがわかってる。ひとつ感じをつかむと、すーっと行ける」と信頼を置く。
だから試合前、試合中も特に声はかけなかった。その代わりベンチに戻ると、千葉のそばに寄り添った。
6回ヒットに送りバント、そして味方に守備の乱れが出て先取点を献上したところで、菅澤にスイッチ。
「あなたは内角をしっかり攻めないと、自分の投球ができないよ」と松岡さんから口酸っぱく言われてきたエースだったが、内角を攻めきれず真ん中に入る変化球をレフト前へ運ばれ2点目を失った。
最終回の7回にも1点を追加され0-3の完封負け。創部5年目の全国制覇は夢のままで終わった。
「残念でしたが、よく頑張りました。大会に入って緊張続きで、ほぐすのが私の役目でした。でもキャプテンの佐々木(麟太郎の妹)、千葉も泣いてはいませんでしたよ。勝って泣こう、負けたら笑おうって、言ってたからかな⁈」
松岡さん、就任当初は選手に「松じー」と親しみを込めて呼ばれていたらしいが、「違うだろ。"松にー"だろ」と逆襲し、今は「松にー」が定着している、とのこと。
無理やり言わせてる感が強いが、その"松にー"に背番号88の意味を聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
「いやあ、88歳まで現役で頑張りたい、という思いがあってね。その思いを背番号にしただけよ。何とか健康に気を付けて実現したいね。まだまだ花巻に通わせてもらうよ」
実は先日、喜寿のお祝いを兼ねた食事会をさせてもらったところだが、ぜひ11年後、88歳米寿のお祝いもさせて下さい。もちろん、またいつもの中華料理店で。
テレ東リアライブ編集部 E.T(新聞、テレビでスポーツ現場経験30年のロートル)