パ・リーグ優勝決定戦「ロッテ 対 近鉄」10.19の裏側 球界を揺るがす大きな出来事があった

野球

2025.2.18

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    (c)SANKEI

    「令和でも語りたい昭和な人たち」#6 阿波野秀幸 Part.1 ~1988.10.19の裏側~

    実質的な昭和最後の年、63年(1988年)に行われたこの試合を忘れることはできない。

    パ・リーグ優勝決定試合「10.19ロッテー近鉄ダブルヘッダー」

    俗に「10.19」と呼ばれて語り継がれている、様々なドラマがあったゲームの裏側で、球界を揺るがす大きな出来事があったことを覚えている人は少ないだろう。

    阪急のオリエント・リース(現オリックス)への身売りである。

    「優勝をかけて戦っていた近鉄に、阪急の身売り情報は影響していなかったか」という"仮説"を確かめるため、当時のエース阿波野秀幸さん(60=以下敬称略)と麻布十番にある参鶏湯料理「グレイス」で食事をすることにした。

    「お久しぶりです。懐かしいですね、この店」

    2007年から5年間、テレビ東京の解説者を務めてもらったが、阿波野によれば最初の顔合わせの場が「グレイス」だったとのこと。

    筆者はすっかり忘れていた。

    亜大2年時から取材をして、以来交流を続けているけれども、温厚で聡明で気遣いができて話が面白い。筆者より5学年下ながら、いつも感心させられる。

    それが「阿波野」という男だ。

    10.19の川崎球場は異様な熱気に包まれていた。こんな川崎球場を目にするのは初めてだったかもしれない。

    当時、新聞社でヤクルト担当をしていた筆者はコメント取り要員の「助っ人」として、第1試合終盤に球場に到着した。

    記憶が定かではないが、9回の近鉄勝ち越しの展開の時に臨電が鳴ったような覚えがある。大阪から近鉄サイドの助っ人で来ていた阪急担当が電話に出ると、「何さらすねん」と叫んで受話器を叩きつけた。

    「阪急がオリエント・リースちゅうとこに身売りしよった」

    目の前では、引退を決めていた梨田が勝ち越しタイムリーを放ち、近鉄ベンチが盛り上がっている。一方、阪急身売りで記者席は騒然となった。するとまた臨電が鳴った。

    受話器を取ると「これからあなたは白金の都ホテルに行け。近鉄の佐伯オーナーが20時くらいにチェックインするから"近鉄は身売りしませんか?大丈夫ですか?"と直撃しろ」と東京本社のデスク。

    筆者への指令だった。

    すでに南海のダイエーへの身売りは、10月1日のオーナー会議で承認されていた。

    そして阪急も。関西私鉄2社が身売りする中、近鉄は大丈夫なの?を確認しろ、という訳だ。

    すぐに川崎球場を出て都ホテルに向かった。まさか先発の柱・阿波野が抑えで投げるなど、知る由もなかった。

    ネットもスマホもない時代。情報は完全に遮断されていた。都ホテルに他社の記者はいなかったので一人でオーナーの到着を待った。

    「もし身売り話があっても、顔も知らない若造に本当のこという訳ないだろうな」と思いながら。

    事前にホテルから"記者がいる"という情報が入っていたのだろう。到着した佐伯オーナーは「うち(近鉄)は(身売りは)ない。心配しなくていい」と話すと、エレベーターに乗り込んでいった。

    デスクに報告し、また川崎球場へ。記者席に到着すると、阿波野がこの試合も抑えとして投げていた。

    しかし、高沢にまさかの同点弾を許し、有名な「有藤抗議」で時間切れ引き分けとなり、連勝が絶対条件だった近鉄は優勝を逃した。

    阿波野に阪急の身売りの件を知っていたか問うと「知ってました」とうなずいた。

    「1試合目が終わって"20分後に試合開始"という伝達があって、第1試合いい形で勝てたからみんな盛り上がっていた。どこで聞きつけたのか、その時誰かが"阪急が身売りしたらしい"って言いだして、みんな"えっ"となった」

    「南海の身売りもすでに出てたし、"うちも私鉄だし大丈夫なん?"って思ったし。さっきまで苦労して乗り越えたものが全くない状態で次の試合に入ったことを覚えてます。何でこんな時に発表すんの、って」

    阿波野は「あの頃の近鉄はダブルヘッダーの第1試合でシーソーゲームとか接戦をモノにすると、第2試合は大爆勝するんですよ、そういうチームでした」と振り返る。

    乗り出すと手がつけられない「いてまえ打線」は、しかしこの日は違った。

    最高潮に盛り上がったところへ一度冷水を浴びせられた形で迎えた第2試合。いつものように「大爆勝」といかなかったのは、「試合間23分ショック」の影響だろうか。

    いずれにしても優勝をかけた大一番に、いつもと違う精神状態で臨んでいたことは間違いない。

    近鉄は翌89年、西武との10.12天王山ダブルヘッダーで第1試合を大逆転で6-5と先勝すると、第2試合は14-4と大爆勝している。

    阿波野のいう通りの展開で連勝し、そのまま優勝へと突き進み前年の雪辱を果たした。

    ちなみに近鉄は2004年11月、オリックスに経営権を譲渡して消滅し、バファローズのニックネームだけが残った。南海、阪急の身売りから16年後の出来事だった。

    あとで知った話だが、球団譲渡は10月31日までにオーナー会議で承認されなければ1年先に持ち越しになるとのこと。

    忙しいオーナーが集まりやすい日本シリーズ開幕日がこの時は22日だったので、オーナー会議は21日に設定され、両社が話し合い発表は19日に決まった、という。

    その時点で「10.19」が優勝決定試合になるかどうか、もちろん確定していなかった。

    当時は「なぜこのタイミングで」と怒りすら覚えたけれど、わざわざ発表ををぶつけた訳ではない。そりゃそうだろう。

    今10.19で思い出すことは、「何さらすねん!阪急身売り」、「阿波野痛恨被弾」、「有藤抗議」、そして「都ホテル」。様々なことが混ざり合って、伝説は生まれた。

    ただ、せっかく川崎球場に行っていながら試合をちゃんと見られなかったことが、残念でならない。

    逆に貴重な経験ができたと言えなくもないが...。

    さて「阿波野秀幸Part2」では、この男の数奇な運命を掘り返していく。

    テレ東リアライブ編集部 E.T(新聞、テレビでスポーツ現場30年のロートル)


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