「令和でも語りたい昭和な人たち」#14 元祖下剋上指揮官 西村徳文 PartⅠ

野球

2025.12.24


西村徳文(c)SANKEI

"同い年"のつながりというのは、特別なものがある。初めて会った人でも、同じ年度生まれだと分かった瞬間に打ち解けるスピードが明らかに加速する。

筆者と同じ1959年度生まれには数多くのプロ野球選手がいるが、NPBの監督経験者はたった一人しかいない。

ロッテ、オリックスの2球団で監督を務め、2010年にはリーグ3位から日本一に昇り詰める"下剋上"を成し遂げた西村徳文さん(以下敬称略)だ。同い年のよしみで、ニシと呼ばせてもらうことにする。

ニシは宮崎・福島高―鹿児島鉄道管理局を経て、1982年にドラフト5位でロッテに入団。

83年からスイッチヒッターに転向、84年に初めて規定打席に到達すると翌85年には打率.311をマークして初タイトルとなるベストナインとゴールデングラブ(二塁手)を獲得した。

86年から4年連続で盗塁王、90年には打率.338で両打ち打者としてパ・リーグ初となる首位打者に輝いた。

16年の現役生活で1433試合4777打数1298安打、打率.272、33本塁打、326打点、363盗塁。97年オフに現役を引退するとチームに指導者として残り、一・二軍の内外野守備コーチ、一軍ヘッドコーチなどを歴任。

バレンタイン監督の後を受け、2010年から監督に就任するとその年に"下剋上"を達成し日本一に。

12年限りで退任し、16年からオリックスのコーチとなり19年から監督に就任したが、20年シーズン途中に成績不振の責任を取って辞任した。

ロッテ時代は現役、指導者として31年間、一度もユニホームを脱がず「ロッテ一筋」のプロ野球人生を歩んだ。

筆者はロッテを担当したことがなかったため現役時代は親交がなく、ニシが指導者となった後、話をする間柄となった。

10年、下剋上の年に関係値は深まったが、ロッテのユニホームを脱いだ後は顔を合わせることはなかった。

そんな中。10月9日に「週刊ベースボール4000号記念トークイベント 梨田昌孝✕西村徳文=10.19の真実=」の告知を見て、「ニシに会いたい」と思い会場を訪ねた。

ニシは筆者の顔を見ると、「いやあ久しぶり。元気ですか」と声をかけてくれた。すぐに「じゃあ、近々メシでも食おうよ」という話になり、12月に入って初の2ショット会食が実現した。


西村徳文 (c) テレ東スポーツ

実は、日程合わせのやりとりをしている時に、「この度、独立リーグ 宮崎サンシャインズのGMに就任することになりました」というメールを受けていた。"10.19"ではなく、宮崎サンシャインズのことから話は始まった。

宮崎サンシャインズは、独立リーグの九州アジアリーグに2023年に参入した。同リーグの加盟球団は、福岡、大分、熊本、宮崎の4チーム。佐賀は準加盟球団となっている。

宮崎は23年11勝64敗3分で勝率.149、24年10勝63敗3分で勝率.137、25年10勝52敗1分で勝率.161と、首位と40ゲーム以上離された断トツの最下位に沈んだ。

「やっぱ自分も宮崎は地元やないですか。球団のスタッフとちょっとつながっていて、いろいろ話しているうちに、ぜひ社長に会ってくれないかと言われまして。

社長から"何とかしたい。ぜひ協力して欲しい"ということで、こうなったんです」とニシはGM就任の経緯を説明してくれた。

会食の時点ではすでに、GMとして来季のチーム編成に着手していた。

沖縄で行われていた「ジャパンウインターリーグ」(プロ、アマ、国籍など問わない野球のトライアウトリーグ)の視察を控えていたこともあり、「ペルー人で160キロ超のストレートを投げる投手が参加しているらしい」など情報交換も行った。

テレビ東京系列で放送する「0.1%への挑戦、それでもプロ野球選手になりたい」(12月29日=月= 10時40分~)の取材スタッフが同リーグを取材している状況があり、結果的に現場でコメントをもらうなど取材協力までしてもらうことになった。感謝です。

すでに宮崎市内に住まいも契約。今後は月に20日程度は宮崎に留まり、GMとしてチームに寄り添っていく。「まさかね、ずっとじゃないにしても、この年で単身赴任とはね。いやあ、正直きついですよ。でもね、地元のためだし、頑張りますよ」とニシ。

"同い年"として、65歳を越えたこのタイミングで人から頼りにされ、故郷のために働けることは本当にうらやましいと思う。

実はニシが独立リーグと関わるのは、これが2度目だ。オリックス監督を退任した後、22年に独立リーグ・日本海オセアンリーグの福井エレファンツの会長兼GMに就任。球団が活動休止し、わずか1年しか携わることはなかったが、この時の経験が今回の宮崎サンシャインズのGM受諾につがっている。

「すごくいろいろと経験させてもらいましたね。独立リーグはいいところもあるけど、やっぱり悪いところもあるんです。一応、プロ野球という名前がついている以上は待遇面も上げていかないといけないと強く感じたところでね。

他の人とも一緒にやっていかないといけませんが、もうただそういう考えだけですよ。そして今回は地元の宮崎にどれだけ恩返しができるかということも大事なことです」。

宮崎サンシィンズは本社を宮崎市内から都城に移した。都城運動公園野球場は来年2月の春季キャンプで千葉ロッテが使用することが決まっている。

町を挙げての盛り上げも大切ではあるが、何より勝たないとファンは増えない。球場に足を運んでくれなければ、収益は上がらない。

当然、選手の待遇を上げることもできない。GMとして勝てるチームをどう編成するか。ニシの腕の見せ所でもある。

「どうやって強くしていくか。そして、どうやって知名度をあげていくか、考えないといけない。サンシャインズのことを宮崎、九州でも、まだ知らない人がたくさんいるんじゃないかな。

毎年とは言わないけど、NPBに1人でも2人でも送り込んでいく。選手には、その夢を持ってもらいたいよね。せっかく来てくれたのに、モチベーションがなくなっちゃうような状況はね、作りたくないんですよ」。

今回GMに就任してから、高校野球の監督と話す機会を持ったという。「独立リーグでやることに、背中をなかなか押しづらいと皆さんおっしゃる。待遇面も悪いし、セカンドキャリア的なものも、ね。

もうちょっとしっかりしとけば、監督が選手の背中を押せるし、両親も納得させられるんですけどね」。

チームのホームページを見てみると、数人の選手の入団が決まっている。そして、ある意味最も大切な投手コーチも決まった。今季まで四国アイランドリーグ・高知で指導していた井上祐二氏だ。

地元都城高校出身で南海―ダイエーー広島―千葉ロッテで主に救援投手として活躍。89年にはセーブ王のタイトルを獲得し、西村監督時代のロッテではブルペンコーチを務めた。頼りになる右腕だ。

宮崎サンシャインズの躍進に期待したい。"同い年"として来季は全試合チェックさせていただきます。

PartⅡでは、ロッテ監督時代に掲げたキャッチフレーズ「和」につながるニシの野球人生に迫る。ある意味「普通の高校生」だったところから、すべては始まった。

テレ東リアライブ編集部 E.T(新聞、テレビでスポーツ現場30年のロートル)