
長﨑美柚 PHOTO:World Table Tennis
晴れやかなムードに包まれた記者会見場は、多種多様な競技のアスリートと報道陣でごった返していた。
8月19日、都内ホテルで盛大に開かれた愛知・名古屋アジア競技大会(9月19日開幕)の結団式。
その前に行われた記者会見の後、長﨑美柚(木下グループ/世界ランク19位)を人目につかないロビーの隅へと連れ出したのは、できるだけ静かな場所で彼女の心のひだに触れたかったからだ。
今年5月下旬、長﨑は国内選考会で優勝し、アジア選手権大会(10月19〜25日/ウズベキスタン)の代表権も獲得していた。
ところが、直後のインタビューで「卓球をポジティブに捉えることができていない」「自分の中のコップの水があふれるような感覚」と思いがけない心情を吐露。お祝いムードを一変させた。
あの衝撃的な発言から、約3ヶ月。過日のWTTヨーロッパスマッシュ(8月8〜16日/スウェーデン)では久々に積極的なプレーを見せ、持ち前の攻撃力を発揮した。
それは、飛躍を遂げた2025年シーズン後半の好調を取り戻したかのような、生き生きとした姿だった。
この3ヶ月で、彼女にどんな変化があったのだろう。選考会以来、ずっと気になっていた問いを投げかけた。

過密スケジュールとプレッシャーに追い込まれて
昨シーズンの長﨑は、6月のWTTスターコンテンダー リュブリャナでWTTシリーズ初優勝を飾ったのを機に成績を伸ばし、世界ランクを自己最高の14位まで押し上げた。
しかし、2026年に入ると思うように勝てなくなり、好調の歯車は狂っていった。
「ネガティブな感情が芽生えたのは昨年12月ぐらい。成績が良くなるとスマッシュやチャンピオンズのような上のカテゴリーの大会に出場できるようになりますが、その一方でコンテンダーやスターコンテンダーにも出続け、さらに国内選考会もあって、本当に試合数が多かったです」
試合の合間に練習をしなければという焦りが生まれた。注目され期待が高まるにつれ、「負けられない」というプレッシャーも重くのしかかる。
そうしているうちに、長﨑は試合に勝っても負けても感情が動かない状態に陥っていった。
「『アスリートとして、どうなのだろう?』と思いながら、自分の気持ちを押し殺していました。でも4月頃になると、もう自分を騙せなくなって。自分にも周りの人たちにも素直になろうと決めました」
蓋をしていた思いが5月の選考会前、ついに「コップの水」のようにあふれ出した。

10日間の休暇で気づいた「卓球をやりたい」気持ち
選考会の翌日からは、"異例の長期休暇"を取った。日数は10日間。
体調を崩したときでさえ、休むのはせいぜい数日という競技生活において、元気な体でこれほど長くラケットを置くのは初めてだった。
「最初の1週間は早かったですね。テレビの取材ロケに行ったり、友達と食事に出かけたり、ただ近所をぶらぶら散歩したりするのも新鮮で。全くラケットを握らなくても、『卓球をしていない自分も好きだな』と思えました。極端に言うと、自分の中にもう一人の自分がいるみたいな感覚で、そのギャップについていけないことがあります」
続けて長﨑は、意外な言葉を口にした。
「自分は人と争いたくない性格で、本当は競技者に向いていないのかもしれません。もともと卓球があまり好きではなくて......。もっと卓球が好きだったらいいのに、と思ったことは何度もあります」
くれぐれも誤解しないでほしい。これには、ちゃんと続きがある。
「それなのに、休みに入って3日目くらいから、『卓球やりたいな』と思いました。試合で勝つのは楽しくて、すごく好きです。だから、そのために練習もします」
そう、卓球が嫌いなわけではない。ただ、四六時中、卓球のことを考えているタイプではないのだ。ラケットを置けば、ごく普通の24歳に戻る。
そんな自分と、身近で切磋琢磨するライバルを比べるたび長﨑の心は揺れた。

勝つための選択をいかに優先できるか
長﨑のようなトップ選手の闘志に火をつけるのは、オリンピック日本代表の狭き門だ。
4年ごとに巡ってくる熾烈な代表争いは、選手たちの競技レベルを押し上げる一方で、容赦なく心を揺さぶる。
2028年ロサンゼルスオリンピックの卓球競技は種目が変更され、男女団体に代わり混合団体を実施。個人戦は男女シングルスと混合ダブルスに男女ダブルスが加わり、2004年アテネ大会以来、24年ぶりに男女ダブルスが復活する。
種目数は5種目から6種目に増えたものの、代表枠は男女3人ずつと変わらない。花形のシングルスに出場できるのは、それぞれ日本のトップ2人だけだ。
「トップ2に入るにはと考えたとき、世界ランクは5位以内。今の自分のままではダメだと分かっています。自分らしくいたら、今の位置のまま。それ以上を望むなら、考え方を変えなければいけません」
2枚しかない切符を手にするには、卓球だけでなく、あらゆる選択において自分を優先すべき場面が増えていく。
人と争うことを好まない長﨑が、勝つことにこだわり抜き、ときにエゴイスティックになれるのか。
恵まれた才能と体格を持ちながら、あと一歩突き抜けられず、ここまできた彼女。そのジレンマの根っこは、案外そこにあるのかもしれない。
完成させたい「自分の求める卓球スタイル」
今も、すべての答えが出たわけではない。
それでも、ジュニア時代は良きライバルとして戦った皆川優香コーチと心を通わせ、さまざまな人と話し、考える中で見つけた答えがある。
それは、「自分の求める卓球スタイルを完成させる」こと。
「両ハンドドライブの威力を生かしながら安定性を高めたいです。ラリーになる前にサーブ3球目、レシーブ4球目で仕留めたい。相手が『何をしてくるか分からない。怖いな』と思うような選手になりたいです。そうすることで勝てる卓球になって、結果もついてくると思います」
実際、理想の卓球を意識して臨んだ7月のWTTスターコンテンダー サン・ジョゼ・ドス・カンポスでベスト4。
翌月のWTTヨーロッパスマッシュでは、フォア面が表ソフトラバー、バック面がアンチスピンラバーという異色の台湾選手に3回戦で敗れたものの、自分なりの手応えをつかんだ。
「最近はずっと質の高いボールに対応する練習を積んできて、その成果が出てきています。『中国選手と対戦したい』という気持ちも強く、ここからどこまでできるか楽しみです」
練習への取り組み方を変え、一つ一つの選択にも責任を持つようになった2025年シーズン。躍進を遂げた自信と経験もまた、長﨑の背中を押しているようだ。
トップアスリートの闘争本能も、頂上の目指し方も選手の数だけあっていい。
だが、競技の世界で頂点は一つ。そして、挑戦できる時間にも限りがある。
「自分らしくいたい自分」と「勝つために変わる自分」。どちらも長﨑美柚に違いない。彼女らしいやり方で頂点への道を歩いていってほしい。
文=高樹ミナ
