[PRODUCTION NOTE]
 
脚本との運命的な出会い
プロデューサーのグレッグ・ブレンマンは、脚本家のリー・ホールが持ち込んだ1ページのシノプシスに胸を躍らせた。激しい状況に置かれた炭鉱地帯でバレエ・ダンサーを志す少年というアイディアに魅了されたのだ。また、祖父が炭鉱労働者だったというジョン・フィンにとっても他人事ではなかった。「母方の家族は全員、今回のロケ地の採掘場で働いていたんだ。一族の中で家を出てカレッジに進んだのは僕が最初だったから、故郷から出ていく気持ちもよくわかるよ」

プロデューサー陣はスティーヴン・ダルドリーに監督を依頼した。英国で最も成功している劇場ロイヤル・コートの芸術監督を務め、ロンドンやブロードウェイの一流劇場で数々の名舞台をプロデュース・演出し、“現代演劇会の顔”として知られているダルドリーは新たな一歩を踏み出す用意ができていた。彼はりー・ホールの脚本に感動し、「これこそ自分が撮りたい映画だ」と思ったという。「僕はノッティング・ヒルにあるゲート・シアターを運営していた頃にリーと組んだことがあるが、その当時からなんてすごい才能の持ち主だろうと思っていたんだ。」

ロイヤル・バレエ学校でリサーチ
脚本家のリー・ホールは、アメリカに住んで自分の子供時代のことを書いていたときに、この物語のインスピレーションが閃いたという。1984年の炭鉱ストは英国の戦後史における重要な事件である。「ストの失敗を決定的にした共同体の中の様々な緊張関係を見つめることで、あの事件を間接的に描きたいと思った。家族や地元社会に逆らい、より大きな世界に立ち向かう少年のイメージが浮かぶと、物語はひとりでに出来上がっていった」
バレエに関してはリサーチの必要があり、ロイヤル・バレエ学校を訪れ、ビリーと同じような小さな村の出身のダンサーたちにインタビューをした。ケン・ローチとビクトル・エリセとビル・ダグラスを尊敬しているホールは、脚本のあちこちでオマージュを捧げている。「これは、主人公が人生の美しさと意義を見つめる青春物語であり、『ケス』と『フル・モンティ』と『ブラス!』を合わせたような作品だ。

踊れて演技もできる少年を探して
この映画の成功はビリー役の演技にかかっていた。そのため2000人以上もの少年たちにオーディションが行われた。ダルドリー監督は語る。「演技ができて、踊れて、北東部出身で正しい訛があって、年頃もピッタリの子を見つけようなんて高望みだった。だが、ついにジェイミーを見つけた。干し草の中から針を見つけたんだよ」
友人の友人に勧められてオーディションを受けたというジェイミー・ベルは、6歳からダンスを始めた。「ある大会で女の子がリズムをはずしまくってタップ・ダンスをするのを見て、僕ならもっと上手にできるよっていったらママが教室に通わせてくれたんだ。でも慣れるまではすごく練習しなくちゃいけないし、学校では、女がやることだって言われた。だから男らしくサッカーの練習に出てから、内緒でダンス教室に通っていたんだ」
ダルドリー監督との共同作業については、「彼は、こうしなさい、ではなく、こんな風にやってみてもいいよって言うんだ。僕のアイディアも採り入れられたよ」とジェイミー。「ダンス・シーンはみんなで完璧にやらなくちゃいけないから、すごく疲れた。T.レックスやなんかの音楽がだんだん好きになったので、それに助けられたけどね」
ウィルキンソン先生役のジュリー・ウォルターズは、主人公ビリーについてこう語っている。「彼は男の子の世界で生まれ育ったから、急いで大人にならなくていけない。彼がダンスを必要としている理由はそこにあるの。ダンスは全てから解き放ってくれる−怒りや悲しみを表す声なのよ」

少年らしい振付、パワフルな映像
振付家のピーター・ダーリングは、子どもたちが踊っている映像をいくつも見たり、ジェイミー・ベルの動きを観察したりして振付をした。「ジェイミー自身も外の世界へ出たい、自由になりたいと望んでいるのが感じられた。だから彼の振付は攻撃的なものにした。例えばビリーが踊りながら壁に向かっていくシーンは、壁を突き破ろうとすることのメタファーだが、荒っぽい非女性的なダンスだってあるんだということも示している」
撮影監督のブライアン・トゥファーノは、ピケラインの中に入り込んで撮影し、押し合いへしあいする人並みの中で地面に投げ出されたほど。10万人の怒りのエネルギーを捉えるため、フレームの中で演技をしてもらうのではなく、演技に合わせてフレームを決めたことでパワフルな映像が出来上がった。逆にダンス・シーンでは、よりワイドでオープンなフレーミングにし、周囲の圧迫から自由になろうとするビリーの思いを際ださせた。「1930年代のフレッド・アステアの映画で使われた手法で撮影したんだ」
撮影は1999年8月、イングランド北東部でスタートしたが、ロケ地探しで特に難航したのは現役の採掘場探し。幸い北東部に残っていた最後の炭鉱を確保できた。ロケ地となったイージントンは、まさにリー・ホールが念頭に置いて脚本を書き上げた場所だった。
群衆シーンのエキストラは地元の新聞で募集され、北東部の400人以上の人々が映画作りの“魅力”に触れた。若きスター、ジェイミー・ベルをひと目見ようと訪れる少女たちも日に日に増えたが、彼はファン全員に平等に接していた。中には毎日通ってくれる熱心な少女もいた。撮影隊の来訪は地元に経済効果も生み、活気をもたらしたのだった。
 
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