アサヒビール 社長
荻田 伍(おぎた・ひとし)
RYU'S EYE
座右の銘
放送内容詳細
逆境の指揮官
営業一筋37年。荻田の営業マン人生の前半20年は常に「逆境」との戦いだった。1965年にアサヒビールに入社してから、1987年に「スーパードライ」が発売されるまで、アサヒのシェアは下がり続けていたのだ。入社当時売っていた「アサヒビール」はシェア20%。シェア50%の王者キリンビールに大きく水を開けられていた。その後、さらにシェアは下落、1980年代前半にはとうとう10%割り込んだ。
しかし、そんな中でも荻田率いる営業チームは、様々な工夫で実績を上げていた。荻田の部下は口を揃える・・・「辛かったが、楽しかった」。いま、荻田の社長室には「プラス思考」の大きな文字が掲げられている。常に「プラス思考」を心がけ、部下を励まし、ひとつひとつ実績を積み上げてきた荻田の好きな言葉だ。
「スーパードライ」の大逆転
逆境で鍛えられた荻田チームの営業力が爆発するのは、1987年に発売された「スーパードライ」だ。これでアサヒビールは大逆転を果たす。
シェアが9.6%となった1985年、アサヒは当時としては異例の規模だった全国5000人調査を実施した。そして、ビールといえば「苦味」が定番だった時代に、「すっきりしたビール」を開発する。それが「スーパードライ」だった。「スーパードライ」は、業界地図を一気に塗り替える「お化け商品」となった。荻田が責任者を務めていた九州ではいち早く97年にシェアトップに輝き、翌年には全国でもトップに立った。その後も「スーパードライ」のシェアは伸び続け、50%を超えるお化け商品となった。
荻田は営業の現場で、危機感の共有から新しい商品が生まれること、そして商品がメーカーの命運を決するということを体験した。
再びの逆境、そして大逆転
荻田が、さらに逆境からの大逆転を果たしたのが、2003年に社長に就任したアサヒ飲料だった。当時のアサヒ飲料は3期連続の赤字に陥っていた。荻田はまずアサヒ飲料の社員に危機を自覚させ、落ち込んでいた「三ツ矢サイダー」等の主力商品を、徹底した顧客目線で甦らせた。会社は荻田が就任した年から黒字に転換、V字回復を成し遂げた。その実績を買われ、荻田は2006年、アサヒビール社長に就任した。子会社社長からの就任は異例なことだという。
逆境に負けない真の営業力とは
どん底期に鍛えられ、「スーパードライ」ヒット後トップを守ってきたアサヒの営業力・・・その営業の最前線に立ってきた荻田。「モノが売れない時代」と言われる今、荻田の経験から語られる数々の金言は営業マン必見だ。
ゲストプロフィール
荻田 伍
- 1942年福岡県生まれ(67歳)
- 1965年九州大学経済学部卒 アサヒビール株式会社入社
- 1989年~長野支店長、茨城支店長、福岡支社長
- 1997年取締役
- 2000年常務執行役員
- 2002年専務執行役員
- 2003年アサヒ飲料株式会社 代表取締役社長
- 2006年アサヒビール株式会社 代表取締役社長
企業プロフィール
- 設立:1949年9月1日
- 売上高:1兆4627億円 (2008年12月期・連結)















