万協製薬 社長
松浦 信男(まつうら・のぶお)
絶望の神戸の街から希望を見いだし、立ち上がった男が語る!
「1995年1月17日は人生最悪の日。どんな日でも、あの日よりも悪い日はない。だったら乗り越えられないものは何もない!」
社長の金言
再生は“必要とされる”こと
RYU'S EYE
座右の銘
放送内容詳細
見学者殺到!"地震に強い"工場
三重の山奥にある万協製薬の工場。そこは徹底した"地震に強い"工場だという。建物自体が潰れないように重い機械はすべて1階に置いてある。避難しやすいように通路の幅は広い。停電して暗くなっても安全なように、通常は床を這い回っている電源ケーブル類は全て天井からぶら下がっている。さらに外へ通じるシャッターはカッターで破って脱出できるように特殊なビニール製だ。この工場を見るために毎年1000人もの見学者がやってくる。 そんな工場を作ったのが、社長の松浦信男。阪神大震災での経験が全ての原点となっているという。95年に起きた阪神大震災で、神戸にあった万協製薬の工場は全壊‥‥。当時社長だった松浦の父はやる気を失い、従業員は「会社を清算して退職金をくれ」という始末。再建したいと考えていた松浦は気付く‥‥「誰一人として商品も会社も愛していない。そして世の中からも必要とされていない」。失意の中、従業員を解雇、三重・多気町に移って妻と同級生らと一緒にたった4人でゼロから再スタートした。今度は、「必要とされる会社」になるために‥‥。
震災で生まれ変わった‥‥ゼロからの再スタートで新ビジネスモデル構築
阪神大震災以前の万協製薬は、大手1社の1種類の商品を生産する、いわゆる"下請け"工場だった。しかし三重に移転後は、得意のクリームや軟膏など外用薬をOEM製造(相手先ブランド製造)するビジネスモデルに転換。ハンドクリームや消炎剤、かゆみ止め、水虫薬といった商品を次々と独自開発しては、製薬会社にすぐに販売できる完成品として提案してきた。その結果、今や大手メジャー製薬会社から薬局のPB製品にまで、国内65社の商品200種類をOEM製造する"縁の下の力持ち"企業に大変身し、売上高は震災前の約10倍になった。そして、あの地震に強い工場には、たくさんの会社からの注文に対応するために、普通の工場ではあり得ない驚きの仕組みがあった‥‥。
人に必要とされる商品・人間・会社たれ!
阪神大震災後、当時の従業員は会社の再建を手伝ってくれなかった…その苦い経験が松浦の今の会社作りに活かされている。「社員にも必要とされる会社にならなければいけない」。 万協製薬には、ちょっと変わった「社員が働きやすい仕組み」が作られている。社内のコミュニケーションを深めるため、社員同士が企画する食事や旅行には会社から補助金が出る。海外旅行にはなんと1人10万円!社内には巨大な漫画やDVD鑑賞スペースがあり、体力増進のスポーツジムやリングも揃っている。働きやすい環境が会社への愛着を生み、その結果、社員から仕事の改善提案が山のように出てくるようにもなった。阪神大震災をきっかけに目指した「消費者にも、取引先にも、社員にも"必要とされる会社"」に、万協製薬は生まれ変わった。
ゲストプロフィール
松浦 信男
- 1962年兵庫県神戸市 生まれ
- 1982年父が創業した万協製薬に入社
徳島文理大薬学部で薬剤師の資格を取る - 1995年阪神・淡路大震災で本社・工場が全壊、従業員解雇を余儀なくされる
- 1996年社長に就任し、本社・工場を三重県に移転
企業プロフィール
- 本社所在地:三重県多気郡多気町
- 設 立:1960年
- 売上高:19億円(2011年3月期)
- 従業員数:100人
- 事業内容:外用薬(クリーム剤・軟膏剤・液剤)の専門受託メーカー
村上龍の
編集
後記
松浦さんは「必要とされる会社」を目指し、見事に達成した。日本社会特有の「甘え合い」を拒否したのだ。何かして欲しい、だから誰かを必要とする、それが甘えだ。会社も個人も、必要とされるためには、誰かのために何かを為すことができる存在にならなければいけない。必要とされる存在になるのは、非常にむずかしい。自立し、さらに実力と魅力を備えていなければならない。
















