嵯峨野観光鉄道 社長
長谷川 一彦(はせがわ かずひこ)
京都を代表する観光スポットとして、年間100万人近くの観光客が訪れる人気の"トロッコ列車"嵯峨野観光鉄道の社長 長谷川一彦さんがゲスト。
いまや人気の路線になったが、設立当初の1991年には「3年でつぶれてもおかしくない 」と言われるダメ路線だった。それを一から作り上げ、現在の姿にしたのが長谷川だった。
長谷川は、2011年には「京都ブランドのイメージアップに貢献した」として"京都創造者大賞"に選ばれた。(過去には、祇園祭山鉾連合会などが受賞したビックタイトル。新参者の嵯峨野観光鉄道は、沿線の自然美を生かしながら廃線を観光路線に育て上げた点が高く評価された)
逆境を乗り越え、廃線路線を観光鉄道に導いた観光のカリスマに迫る!
いまや人気の路線になったが、設立当初の1991年には「3年でつぶれてもおかしくない 」と言われるダメ路線だった。それを一から作り上げ、現在の姿にしたのが長谷川だった。
長谷川は、2011年には「京都ブランドのイメージアップに貢献した」として"京都創造者大賞"に選ばれた。(過去には、祇園祭山鉾連合会などが受賞したビックタイトル。新参者の嵯峨野観光鉄道は、沿線の自然美を生かしながら廃線を観光路線に育て上げた点が高く評価された)
逆境を乗り越え、廃線路線を観光鉄道に導いた観光のカリスマに迫る!
社長の金言
“社員を大切に”が一番
RYU'S EYE
座右の銘
放送内容詳細
俺の人生は、終わった…エリート鉄道マンの絶望から再起
旧国鉄マンとしてエリート街道をまっしぐらに走っていた長谷川社長。 JR西日本では、100人超の部下を率いる流通課長も務めていた。JR本社の課長といえば上場企業の部長クラス。しかし、当時43歳だった長谷川に突然の辞令が…。 社員たったの8人。本社からの投資額はたったの2億円。いつ潰れるかわからないようなボロ会社「嵯峨野観光鉄道」の社長に任命されたのだった。 周囲からは“3年もてば充分。潰れてもおかしくない!”とまで言われた鉄道会社。 だが、長谷川はこの逆境を乗り越え、初年度に計画の3倍に当たる69万人の観光客を集め、売上高3.8憶円を記録。その後も、一度も赤字を出すことなく、頑張り続けている。
「お客様を飽きさせない」というテーマの明確性
逆境を乗り越えた背景には、御客様に「自然を楽しんでいただく!」というテーマの明確性があった。 京都は、日本有数の観光スポットであり、自然が豊かな土地。その地の利を生かし、トロッコ列車の線路沿いに長谷川社長自ら社員と共にサクラや紅葉の木を植え、絶景を作り上げた。
ゲストプロフィール
長谷川 一彦
- 昭和21年兵庫県生まれ
- 昭和46年神戸大学大学院卒業後、日本国有鉄道に入社。
鉄道本部運輸部担当課長など歴任 - 平成2年嵯峨野観光鉄道株式会社代表取締 就任
- 平成10年JR西日本和歌山支社長に就任。
- 平成12年嵯峨野観光鉄道(株)代表取締役(現職)に再任。
- 平成16年観光のカリスマに選ばれる。
村上龍の
編集
後記
作曲家のドボルザークは、毎日の散歩の途中、当時最先端のメカだった「機関車」を、鉄橋の上から眺めるのを楽しみにしていたらしい。鉄道・列車は、人や貨物を別の場所に移動させる。そこには多大な経済効果と、「移動」という刺激がある。 長谷川さん率いる嵯峨野観光鉄道は、トロッコ列車の沿線に、桜や紅葉を植え続け、風景を見ながらの移動に大きな喜びがあることを示した。日本の資源は、エネルギーや設備や金融だけではない。わたしたちは、地域の風景や伝統文化という「資源」に気づくべきである。
















