東日本大震災から2年が経過した今も、原発処理、風評被害など様々な逆境に苦しむ福島県の太平洋沿岸部いわき市に位置しながら、年間140万人という驚異の集客力を誇る。
東京から200キロと決して近くない東北のリゾート地に、人々はなぜ殺到するのか?
数々の地方リゾートが破綻する中、生き残る "地方の奇跡"に迫る!
社長の金言
観光は究極の街づくり
RYU'S EYE
座右の銘
放送内容詳細
「行かなきゃわからん!驚異のハワイアンズ」
東京駅バス乗り場に続々と集まる老若男女…バス4台は満車。みんながウキウキの行き先は…福島県の太平洋沿岸部いわき市にある「スパリゾートハワイアンズ」。 東京ドーム6個分の敷地に約20の温水プールや温泉、約500室のホテルを併設した巨大温泉リゾートだ。2006年公開の映画「フラガール」がヒットし、震災前は年間130万人が訪れたが、震災の影響で半年間休業し来場者も30万人に激減。しかし復活1年で震災前の水準に戻すという驚異の集客力を誇る。 「3世代の客を取り込む様々な施設づくり」「1万2千円ポッキリで大満足の格安感」「東京など首都圏からの往復無料バス」「館内全て水着裸足OKのリラックス感」…などなどハワイアンズ独自の集客の秘密を大公開!
炭鉱が生んだフラガール…不屈の一山一家
ハワイアンズの象徴でもあるフラガールの原点が“炭鉱”だ。実はハワイアンズの前身は本州最大の炭鉱として戦後日本のエネルギーを支えた『常磐炭鉱』。しかしエネルギーが石油にかわり閉山に追い込まれる中、当時の副社長だった中村豊(故人)が思いついたのが沸き出す温泉を利用したリゾート「常磐ハワイアンセンター」だった。「父がホテルマン、母が厨房で皿洗い、息子がコックで娘がフラガール」。そんな家族総出で作り上げた施設。そんな彼らを支えたのが「一山一家:ひとつの山はひとつの家族」という炭鉱ならではの企業風土だった。オープン後も石油危機やバブル崩壊、そして大震災…。地方にありながら幾多の苦難を乗り越えてきた「一山一家」のDNAとは何なのか。
地元に喜ばれる施設こそ生きる道
平日のオープン前から続々と集まって来るのが「毎日、風呂に入りくる」という地元客。ハワイアンズは、観光客だけでなく地元客を取り込む様々な工夫をしている。地元の為に発行するのが年間パスポート。13ヶ月で2万円だが毎日くる地元客にとっては1回約50円。「家の風呂より安い!」と会員数は3,000人を超す。さらに地元を周遊する無料バスまで。「全ては地元のため」斎藤会長は、震災後から現在に至るまで、フラガールを無償で全国へ送り、福島県やいわき市のPRを行っている。さらに地元いわき市の「観光協会」の会長もつとめ、地元と積極的に連携をとっている。「観光は街づくり。地元の活性化がハワイアンズの為になる」それが斎藤の信条だ。
ゲストプロフィール
斎藤 一彦
- 1945年福島県いわき市生まれ。祖父、父ともに常磐炭鉱に従事する炭坑一家の三代目として誕生
- 1968年中央大学法学部卒業後、「常磐ハワイアンセンター」オープン後の第1号社員として入社
- 1994年観光事業本部ホテルハワイアンズ総支配人
- 1997年常磐興産(株)取締役観光事業本部長
- 2002年常磐興産(株)代表取締役社長
- 2013年6月常磐興産(株)代表取締役会長
企業プロフィール
- 常磐興産
- スパリゾートハワイアンズ運営
- 設立日:1966年(昭和41年)1月 ※前身:常磐炭鉱:1883年(明治16年)
- 本 社:福島県いわき市常磐藤原町蕨平50番地
- 売上高:471億円(2013年3月期)
- 従業員:445人
村上龍の
編集
後記
炭鉱の衰退、閉山、そして凄惨な労働争議を目撃した九州出身者にとって、映画『フラガール』は、奇跡の物語であり、また謎でもあった。日本でほとんど唯一、常磐炭鉱は労使協調のもと再生を果たしたのだが、なぜそんなことが可能だったのだろうか。 斎藤氏のお話を伺って、やっと謎が解けた。温泉が噴き出すために採掘は常に危険が伴い、労働者同士はもちろん、経営側も、常に危機感を持ち、助け合ってきた。サバイバルにもっとも必要なのは、助け合うこと、協力し合うことだと、人々は歴史的に学んできたのだ。 訪れる客は、温泉でいやされ、リラックスすると同時に、「助け合う」という肯定的な価値観に包まれるのだと思う。


















