社長の金言
人は老いるが
企業は若返ることができる
RYU'S EYE
座右の銘
放送内容詳細
お殿様の薬から始まった龍角散
中国人観光客が「爆買い」する日本製品のトップは、実は家庭薬。その1つが龍角散で、のどの不快感を取り除く薬だ。特に人気なのが、従来の小さじで服用する粉末タイプでなく、新たに発売した顆粒状のスティックタイプ。さらに、コンビニでよく見かける龍角散のど飴の生産量は、1日に300万粒に上る。江戸時代に、喘息だった秋田藩の殿様のために開発された龍角散は、明治になってから一般薬として販売されるようになった。「儲けより人のためになるものを作る」ことが社是。そんな龍角散が、世界で初めて開発したのが「服薬ゼリー」だ。薬を飲むことが苦手な高齢者や幼児を助けるものとして利用者が増えている。主要な3製品の売り上げが好調で、今年度の売上高は初めて100億円を突破する予定だ。
倒産寸前から世界初の服薬ゼリー開発
もともと藤井は音楽家志望でフランスにも留学したが、先代の社長が病に倒れ社長に。当時、主力の龍角散の売り上げは「古臭い薬」と右肩下がり。売上高と同じ40億円もの負債も抱えていた。しかも社内の危機感はゼロ。経営会議では「売れない龍角散はやめて胃薬や風邪薬を作ろう」などの声も上がる始末だった。しかし、藤井は創業来の龍角散ブランドと「のど」に集中することを決断。粉末で「むせる」と評判が悪かった龍角散に、顆粒のスティックタイプを追加した。さらに「ゴホン!といえば龍角散」の宣伝文句を「のどをきれいに」に変えると、風邪が流行る冬にしか売れなかった製品が一年中売れるようになった。さらに、「嚥下障害(のどの機能低下)で薬を飲めない高齢者を救いたい」と藤井は薬を飲みやすくする服薬ゼリーの開発に乗り出す。社内では「売れない」と大反対の中、自ら実験台になって発売にこぎつけた服薬ゼリーは、今や年10億円を売り上げる主力商品に成長。「粉薬が苦手な幼児にラクに薬を飲ませることができた」と母親たちからも支持されている。
農地活用で「生薬」を国産化せよ
龍角散や漢方薬の生産に必要不可欠なのが生薬=薬用植物だ。しかしその殆どを中国からの輸入に頼っていることに藤井は危機感を抱く。それは、品質の不安と価格の急騰だ。生薬への消費者の関心は高く、龍角散以外の製薬メーカーも生薬の安定供給に関心を寄せている。そこで藤井は東京生薬協会の会長として、国産化推進の旗を振っている。農業関係者も、国内の耕作放棄地の有効利用につながると期待している。龍角散のルーツである秋田県では、龍角散の主力原材料・カンゾウの試験栽培が始まっていた。
ゲストプロフィール
藤井 隆太
- 1959年東京生まれ。
- 1981年桐朋学園大学音楽学部卒業後、パリ留学
- 1984年小林製薬に入社
- 1994年龍角散に入社
- 1995年社長就任
企業プロフィール
- 江戸中期 秋田藩の命により家伝薬を開発。
- 1871年 東京市神田で創業。
- 1950年頃 アジアへ龍角散輸出を開始
- 1998年 服薬ゼリー発売
- 2008年 顆粒状の龍角散ダイレクト発売
村上龍の
編集
後記
「龍角散」は、どうやって2世紀以上も生き延びることができたのか。歴代経営者は、一代たりとも同じことを繰り返さなかった。言わば、100メートルの全力疾走を繰り返しながらマラソンを走るように、「龍角散」は、サバイバルを果たしてきた。その典型が、現社長の藤井さんだ。無謀とも思える変化を主導する経営者には、なぜか必ず奇跡のような出会いがある。「嚥下補助ゼリー」が、悩める指揮者を救う天才演奏家のように、生み出された。歴史は、「順風満帆」などとは無縁だ。勇気ある挑戦だけが、歴史を形作っていく。


















