社長の金言
強い農業は 海を 常識を こえていく
放送内容詳細
“サツマイモのことなら何でもやる!”異色の農業ビジネス
宮崎県最南端、串間市という過疎化が進む人口1万5千人程の小さな市に農業法人「くしまアオイファーム」はある。扱う農作物は青果用のサツマイモのみ。この会社が他社をしのいで急成長した大きな武器が「輸出」だ。日本のサツマイモ輸出量の約17%をこの会社で占め、国内トップクラスを誇る。2012年、一農家だった会長の池田は「九州はアジア圏に近くフェリーが使える」と輸出に踏み切った。実はサツマイモは輸送時に芋が傷んでしまい最大5割も腐敗するというリスクがあり、大半の会社が輸出に手を出してこなかった。しかし池田は海外に販路・商機があると信じて現地を徹底リサーチ。すると、香港やシンガポールでは小ぶりな芋をそのまま炊飯器に入れて蒸して食べていることがわかった。帰国後、池田は輸出に特化した小ぶりなサツマイモの栽培を開始し大量生産を可能にした。さらに輸出のネックになっていた芋の腐敗を解消すべく包装袋も開発。廃棄率をそれまでの6分の1に下げ、海外での販売価格を安くすることにも成功した。一方、国内での販路も広げている。看板品種は「べにはるか」の独自ブランド「葵はるか」。アオイファームには約1200トン貯蔵できる定温貯蔵庫があり、ここで長期熟成させることで糖度の増した甘いサツマイモが出荷できる。この甘さが評判を呼び、今では全国の販売店から引く手あまたに。生産から加工、販売まで一貫して行い、法人化してから10年で売り上げは40倍の22億円。
若い人材を集め“強い農業会社”に!
昭和初期に池田の曽祖父の代から始めた農家。しかし農業だけで食べていけず、父は大工仕事で日銭を稼ぐ。そんな貧しさに嫌気がさし、池田は高校卒業後、家を飛び出し大阪で働きはじめる。しかし父親が末期がんに侵され、23歳で地元に戻って家業を継いだ。何をやってもうまくいかず両親を恨んだ時期もあったが、自分の子供に尊敬される父親になろうと、サツマイモ作りに精進していった。2011年、農業のあり方を変えようと農協への出荷をやめた。退路を断って自分の責任で生産から販売までやると決め、これまで上手くできなかった輸出や独自の貯蔵システムを一からつくり上げた。アオイファームの社員の平均年齢は33歳。過疎と高齢化が進む宮崎県串間市では異例の数字だ。池田は中途採用で商社マンやIT系に詳しい若い人材を次々と農業へ引き入れた。世の農業への報酬体系にもメスを入れようと、地元の公務員と同水準の給与を支払い、休みも週休2日制にする労働環境を整えた。2018年には早めに世代交代を図ろうと自らは会長となり次期後継者の社長ポストを社内の「総選挙」で選出。アオイファームのサツマイモに一目惚れして転職してきた元商社マンが新社長に選ばれた。「身内だけで経営をやるべきではない」と池田は今、経営のほとんどを社長ら若手に託し、自らは農業の指導者育成など地域の農業のために力を注いでいる。
サツマイモを伝染病から救え!
4年前、サツマイモ業界を揺るがす伝染病が発生。それが「サツマイモ基腐病」。九州だけでなく他県にも甚大な被害が及び、今も続いている。アオイファームは地元の宮崎大学と連携して研究所を設立。病気に強い抵抗性品種の研究や新品種の開発に着手するなど、サツマイモ農家全体の存続のために力を注いでいる。
ゲストプロフィール
池田誠
- 1970年宮崎県串間市生まれ
- 1993年家業の農業を継ぐ
- 2013年農業法人くしまアオイファーム設立 社長に就任
- 2018年会長に就任
企業プロフィール
- 住所:宮崎県串間市奈留6564-12
- 設立:2013年
- 従業員:113人
- 年商:22億円
村上龍の
編集
後記
串間で、誰も挑戦したことがない農業モデルを作る、それが自分の使命だと思った。稼げる農業モデルに変えられるのかを考え続けた。2011年、JAへの出荷を止めた。退路を断って、自分の責任で生産から販売までやろうと。母親や親族からは猛反対されたが、スーパーなどに1軒1軒訪ねて直接営業をした。シンガポールへの輸出をはじめる。ほくほくしておいしいとすぐに評判になった。池田さんが作るサツマイモは、極上のデザートのようだ。「赤ほや」と呼ばれる火山灰が積もった土壌が生んだ、味なのだ。


















