社長の金言
失敗が多いほどワクワクする
放送内容詳細
肉も卵もおいしくなる!?知られざる麹ビジネスの舞台裏
2年前、和牛の肉質を競う全国大会で日本一に輝いた、ブランド牛肉「うしの中山」。とろけるような柔らかさで、バターのような芳醇な香りがすると、肉好きから絶大な評価を受けている。その美味しさの秘密が…エサに「河内菌」の麹を混ぜたことにある。麹により、牛の消化吸収が良くなり、体重も増加。甘味も増したという。一方、麹入り飼料を食べた鶏の卵は、ビタミンが豊富でコクもでるというのだ。麹の研究を進める山元は、こうした麹入り飼料の開発を行い、売り上げを伸ばしている。そんな山元が仕掛ける、麹ビジネスの舞台裏に迫る。
“親子の確執”“倒産の危機”からの知られざる復活劇
初代は「河内菌」を見つけた“麹の神様”、2代目は自動製麹装置を開発し、“焼酎業界の帝王”と呼ばれる存在だった。そんな種麹メーカーの3代目として生まれた正博は、東京大学から同大学の大学院へ進み、37歳で家業の河内源一郎商店の社長に就任するなど、順風満帆な人生を送っていた。しかし、その歯車が、ある日を境に狂い始めてしまう。2代目の父親が、知人から焼酎メーカーを買い取り、自分で作った麹を使った焼酎作りを始めたのだ。しかし、現実は厳しかった。「麹屋が焼酎を作るのは、客を横取りする行為だ」と地元の焼酎メーカーの反発を受け、作った焼酎を卸す先も、販売する先も失ってしまったのだ。そして、この事態を生み出した父親が、思いもよらない行動に出る。なんと、売れない焼酎メーカーを一方的に息子である山元に押し付け、河内源一郎商店を解雇したのだ。3代目の山元は、ここから生き残りを賭けた闘いに身を投じていくことになる。倒産寸前に追い込まれた山元は、どうやって、この危機を乗り越えたのか?老舗の3代目が、麹ビジネスの多角化に成功するに至った、知られざる転機を紐解く。
“河内菌研究”次を担うのは元心臓外科医の息子
山元の次に河内菌の研究を担うのが元心臓外科医の息子・文晴だ。文晴は慈恵医大を卒業し、心臓外科医だった異色の経歴を持つ。文晴は「生活の安定では医師の方が良かったが、未知だから面白い」と話し、河内菌の新たな活用法の研究に打ち込んでいる。
ゲストプロフィール
山元 正博
- 1950年鹿児島市生まれ
- 1977年東京大学大学院を修了/河内源一郎商店に入社
- 1987年河内源一郎商店社長に就任(89年に解雇)
- 1988年錦灘酒造(現きりしま高原麦酒) 社長に就任
- 1997年源麹研究所を設立
- 2013年河内源一郎商店 会長に就任
企業プロフィール
- 会社名:河内源一郎商店
- 創業:昭和28年
- 本社:鹿児島県鹿児島市清水町13-27
- グループ会社:源麹研究所、きりしま高原麦酒、河内菌本舗
- グループ売上高:14億円
- グループ従業員数:115名
村上龍の
編集
後記
焼酎の廃液が海洋投棄されることが問題になった。さまざまな方法を試したが、最後にたどり着いたのは麹。麹の発酵熱で廃液を乾燥し、飼料化することに成功した。この飼料は、家畜の毛並みをよくし、肉質も味もいい。ということを山元さんが話したとき、「だったらもっと儲けが出ないと」と言いそうになったが、なぜか言えなかった。それは金儲けとは別の道を歩んできて、今も歩んでいるからだ。社名の、河内源一郎は泡盛に使われていた黒麹から焼酎に適した泡盛黒麹菌の培養に成功した初代の名前。「麹の神様」と呼ばれている。


















