社長の金言
復興とは ここに生きること
放送内容詳細
苦労人の社長が被災地で奮闘
岐阜の田園風景の中にある浅野撚糸。直営の「アウトレットショップ」は、連日、大勢のお客で賑う。お目当ては、独自に開発した世界初の撚糸「スーパーゼロ」で作ったタオル、「エアーかおる」。バスタオルは、約5000円とちょっと高めだが、お客は「使ったら虜になる!」と話し、今では、家庭用だけでなく「高級ホテル」にも採用されている。そんな中、浅野は新たなプロジェクトに挑んでいた。それは、福島県双葉町の復興事業。かつて、人口7000人が暮らしていた「福島第一原発の町」は、震災から11年間は人口ゼロで、現在は一部地域に住民が戻り始めているが、まだ180人に過ぎない。そんな町に30億円投資し2023年に新工場を開業した「浅野撚糸」。当初はやる気に満ちていた浅野だったが、「この3年が人生で一番苦しかった」と、話すほど、想定外な事が次々と起こる。その一つが、予想以上に長引いた「新型コロナ」。冠婚葬祭などが無くなり、本業のタオルの売り上げは激減。そしてもう一つが、「帰還住民の数」。2022年に一部の避難指示が解除され、500人が戻ると見込まれていたが、実際戻ってきたのは、高齢者が30人ほど。「雇用創出」が一番の目的だった浅野にとってショックは大きかった。新工場建設で抱えた借金が重くのしかかり、再び“倒産の危機”に追い込まれた浅野。熱血社長は、この苦難をどう乗り越えるのか!?
2度目の倒産の危機…そして“大逆転劇”へ!
いくつも予想外の出来事により、最悪のスタートとなった「双葉町の新工場」。後悔の念にすら駆られていた浅野だが、その気持ちを大きく変える出来事が…。それは、福島県内の高校生達が、新入社員の話を聞きに来た時の事。対応したのは、新人の女性社員。ある男子生徒から「復興とは、あなたにとって何ですか?」と質問されると、彼女は、「復興とは、私がここにいる事です」と答えた。その言葉を聞いた浅野は涙を流し、経営者としての自分を恥じたという。“スイッチ”が入った浅野は、まず、今まで営業してこなかった大手小売りチェーンなどに営業をかけると共に売上げ回復の起爆剤として、新たな撚糸を開発。「エアーかおる」より肌触りと柔らかさを追求した“新たなタオル”を開発。さらには、「双葉町視察」の研修ツアー客を工場に呼び込むことにも成功し、今では多い月には、団体客が1000人以上が訪れるようになっている。2度目のどん底から再び這い上がった浅野は、「この町から撚糸やタオルを世界に広げていくことで、双葉町は働く場所があって、普通の生活に戻れている事をアピールしていきたい」と意気込む。
“魔法の糸”を使ったアパレルを世界ブランドへ!
“魔法のタオル”で大ヒットを遂げた浅野が、また新しい商品開発に挑んでいる。それが、浅野撚糸が誇る撚糸「スーパーゼロ」を使ったジャケットやストールなどのアパレル商品の開発。すでに、南青山にショップを展開。世界的なテキスタイルデザイナーの梶原加奈子さんとタッグを組んで、世界のハイブランドに売り込みをかけ、現在、20社近くが興味を示しているという。「岐阜の田舎者がどうかと思ったが、立ち止まらないことが大事!」と浅野。何度、逆境に立っても、挑戦することをやめない熱血社長。その復活劇に迫る!
ゲストプロフィール
浅野 雅己
- 1960年岐阜県安八町生まれ
- 1983年福島大学教育学部卒業後・学校教諭に
- 1987年浅野撚糸に入社
- 1995年代表取締役社長に就任
企業プロフィール
- 会社名:株式会社浅野撚糸
- 創業:1987年
- 本社:岐阜県安八郡安八町中875-1
- 社員数:69人(役員、パート社員を含む)
- 売上高:約19億(2024年10月)
村上龍の
編集
後記
撚糸の写真、わたしはDNAを思い浮かべた。よく似ている。生命の源であるDNAと撚糸。たとえば生糸、そのままでは糸として使えない。この生糸の束に撚りをかけると丈夫な1本の糸として使えるようになる。2007年「柔らかい、吸水性もいい、何より毛羽立ちしない」これで会社は救われる、意気揚々と全国のタオル問屋を回るが全滅。「気晴らしに築地で寿司でも」「おいしい、いつか社員を連れてきたい」妻の言葉が腹をえぐった。その後、「スーパーZERO」で福島県双葉町に工場を。苦労の海に乗り出していく。だが、得るものも大きい。


















