セルジオ越後「将来性のない人は練習する必要がない」ブラジルの厳しいサッカー教育論とは

サッカー

2020.8.21

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【セルジオ越後の言いたい放題】

今回のテーマは「ブラジルの厳しいサッカー教育」練習するにもそこまでに厳しい道のりがある?練習すれば誰でもうまくなるというのは大間違い?日本の教育との違いを語ってもらった。

「練習したら上手になる」というのはありえない

ブラジルでは、学校でサッカーはやりません。学校でやらないから色々なことが出来るんです。日本では学校でやったらどうしてもマナーとかに拘束される文化ができてしまっています。

ブラジルでは、サッカーは遊びで始めます。日本では、「練習したら上手になる」と教えますよね。これは「勉強したら頭が良くなる」と同じで、学校の発想ですよね。僕からすると「練習したら上手になる」というのはありえないです。みんながみんな、上手くなれるはずがありません。それがスポーツの美しさでもありますから。

ブラジルでは、「上手になったら練習ができる」と教えます。要するに、スカウトされた人だけが練習する。将来性がない人は練習する必要がないんです。だって経費がかかりますから、クラブはプロになる可能性のある選手の為だけに予算を組みます。日本は部活動だから、全員に平等にやらせるところに違いがあります。

ブラジルは、厳しいですね。色々なところで遊びの草サッカーをたくさんやって、誰かの目に留まってテストに誘われる、テストを受けて合格したらやっとメンバーとなって初めて練習を始められる、ということです。ブラジルでは、練習というのは上手な人をまとめるためにあるから、練習に下手な人が来たら邪魔になるんです。そこがやはりまたスポーツ文化の違いではないでしょうか。

遊びのサッカーというのは、僕は同級生同士でやったことがありません。子どもから大人まで混ざった中で揉まれる。だから同級生同士で括って「こっちは何年生、あっちは何年生」というのは学校行事に過ぎない。上の年代とやるから逞しくなるんです。先輩がちょっとズルをしてそれが文化的に後輩たちにも伝わって、そういうのを「マリーシア」(ポルトガル語で豊富な経験から得た知恵の意味のサッカー用語)と言う。

まぁ、社会ってそういうものではないですかね。社会では言葉から何から全部覚えていくのは同級生同士でないですよね。良いものも悪いものもズルいものも先輩と交わることで学んでいきます。やっぱり人を磨くのは社会そのものだと思います。良いこと悪いことを自ら体験しながら覚えていくんです。

試合終了後に相手チームへ挨拶するのは挑発行為になる

日本の場合は、「従う」というスポーツ文化ですね。例えば、子どもの時に大人も混ざった試合では僕はまずハーフラインに行って並んで挨拶なんかしたことがなかったです。ブラジルではしません。あれをするのは学校行事です、スポーツではない。

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試合が終わったら相手チームのベンチに挨拶に行く、これもないです。もし圧勝したチームが負けたチームのベンチに行って「ありがとうございました」と挨拶したら、乱闘になりますよ。挑発していると捉えられます。サポーターに挨拶をする文化はありますが。

そういう意味では日本の社会の中では珍しく、日本の相撲はユニークですね。睨み合いをしてから始まりますから。日本のスポーツは学生の間は全部並んで挨拶をします。でもプロになったら、プロ野球もJリーグも、W杯でさえもハーフラインに行って並ぶというシーンはないんです。

日本は「形」にこだわり過ぎている

ブラジルでは、大人になって使わないものは教える必要がない、という考え方です。

日本は「形」にこだわり過ぎていますね。多分、ブラジルも学校でスポーツをやったら同じようになるんでしょうけど、学校は「ルールに従う」ことを教える場所です。公園や外の遊び場というのは「争って戦う」ことを教えてくれる場所です。そういうところが「負けず嫌い」の気質を養うことにも繋がっていきます。

もしかしたら、日本はだんだんエスカレートして「日本の運動会は平等であるべきで、順位を付けるからいけないんだ」という文化に繋がっていくかもしれません。そういう文化の違いですよね。

僕は、プロスポーツがある国では、ルールやマナーを守る必要はあるけれど、「戦う」という気持ちをもっと強く持つためにはそういった部分の環境がとても大事なのではないかと思います。

僕も両親は日本人だから日本人の子ですが、ブラジルで生まれ育ってそれらを学んだ。もし日本で生まれていたなら多分そういうことは学べなかった。日本の社会のルールに従って生活していたかもしれません。