大相撲「鳴戸部屋」コロナ禍での新たな取り組みに密着

そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない
平成という時代が終わりに近づいていた3年前。かつてお菓子工場だった下町の古びたビルでその挑戦は始まった。
元大関・琴欧州が自己資金で開いた鳴戸部屋。弟子はたった三人、土俵は全員の手で作った。鳴戸部屋が踏み出した第一歩。親方はロマンに燃えていた。
当時はまだ後援会もなかった。現役の時に貯めたお金を切り崩す日々。ないもの尽くしの船出だったが、愛される部屋にしたいという信念だけは確かだった。
だから近所の人たちを招いて特製ちゃんこをふるまう会を企画した。目指すは開かれた相撲部屋。人に見られることで弟子も自分も成長できる。するとその姿勢が人の輪を拡げ、後援会が発足する。
今や大型冷蔵庫の中には後援会からの差し入れがぎっしり。次々に届く肉や野菜は食費がかさむ相撲部屋の家計を救った。
温かい人の輪の中で鳴戸部屋は大きくなっていく。当初の稽古場は中古ビルを間借りしていたが去年6月には総工費3億円をかけた自前のビルが完成する。
期待の新弟子「深沢」と「萩原」
新弟子もさらに増え10人を超える大所帯になった。
季節は過ぎ、今年2月。大阪場所に備える稽古場に期待の新弟子が二人入った。
一人目は18歳の深沢。高校相撲屈指の強豪、新潟県立海洋高校を卒業して鳴戸部屋の門を叩いた。
もう一人の新弟子、22歳の萩原は父がトルコ人、母が日本人。拓殖大学相撲部の出身で全国優勝も経験している。
新入りに負けるかと兄弟子たちにも気合が入る。稽古場の熱気はにわかに高まった。関取になれば、給料も待遇も全てが変わる。
出世頭の欧勝竜は関取と呼ばれる十両昇進が目前。入門から三場所連続優勝、24連勝を記録した逸材。鳴戸部屋初の関取誕生はもう時間の問題だと誰もが思っていた。
コロナの影響...そして新たな取り組み
だが新型コロナウイルスの蔓延で、大相撲は開催自体が土俵際に立たされる。3月の大阪場所は無観客で行なったが、その後、各部屋は外部との接触を全面的に禁じられた。
事態は悪化の一途を辿り5月場所は中止となり、7月の名古屋場所は移動を避け、東京・両国での無観客開催が計画された。
自粛期間中、親方が新たな取り組みを始めた。それは力士が着る浴衣の生地を使ってのマスク作り。完成した鳴戸部屋特製マスク、カラーバリエーションは紺と白。後援会の会員全員に配ったところ大好評だったという。
3年前には3人しかいなかった稽古場に、今は15人の夢が満ちている。出身や経歴は色々だけれど、夢を叶えるには稽古しかない。
土俵に生きることを決め土俵の上で成長してきた彼ら。これからも 腐らず、コツコツ、我が道を行く。