内田篤人 引退会見で明かした苦悩と鹿島への熱い思い

サッカー

2020.8.25

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内田篤人 (c)KASHIMA ANTLERS

 鹿島アントラーズで選手生活にピリオドを打った元日本代表DF内田篤人が8月24日、現役ラストマッチから一夜明けてオンラインで引退会見に臨み、膝の怪我での苦悩を明らかにした一方で鹿島への熱い思いを随所に滲ませた。

 ホームのカシマスタジアムでのガンバ大阪戦とのリーグ戦から一夜明けて、スーツ姿で会見に登場した内田は、どこかすっきりとした表情を見せながら、改めて鹿島の選手として思うようなプレーができなくなったことが引退の決断に大きかったことを述べた。

 「先輩たちはグランドでやるべきことをやっていたのを見てきた。鹿島の選手らしいふるまいというか立ち姿は感じるものがあった。それが僕にはできていないなと。練習中も怪我をしないように少し抑えながら、ゲームでも少し抑えながらというプレーが続く中で、(永木)亮太とか小泉(慶)や土居(聖真)君とか練習100%でやっている隣に立つのは違うなと。鹿島の選手としてけじめをつけないといけないと思った」と語った。

 「先輩たち」とは、2006年に高卒ルーキーで加入した当時や、2007年からJリーグ3連覇を遂げて鹿島の常勝軍団としての基盤を作ってきた小笠原満男氏、柳沢敦氏、大岩剛氏、本田泰人氏、中田浩二氏らクラブの黄金時代の顔ぶれだ。現在でも内田が「Jリーグ史上最強」と敬愛する。その彼らのプロ選手としての立ち居振る舞いは、内田の心にも強く刻まれていた。

 彼らの姿を見てきただけに、自身の現状では「チームの助けになっていない」と感じて、内田は8月12日のアウェイでのルヴァンカップ清水戦終了後、クラブの強化担当者に「契約解除で引退」という自らの決意を伝えた。

その試合で内田は先発で出場し69分までプレーしたが、「前半セーブしても後半持たない。危ないと分かっていてもそこに行けなかったり、行かなきゃいけないポジションにスピードを持って行けないということが自分の中で数多くあった」と明かし、そこで「やめなきゃだめだ」と決断したと語った。

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2020 J1リーグ 内田篤人 引退試合 写真:アフロ

 特に、膝の手術を受けた後の影響が大きかったと振り返る。「手術を受けた後の1年、2年ぐらいの空白が効いた。技術的にというより運動能力が落ちた。走る、止まる、ターンするという基本的な能力が一番ガツンときた」と語った。

 J1のクラブ以外へ移籍してプレーを続ける道を探る選手もいる中で、内田は「鹿島以外でやる選択肢はなかった」とキッパリ。鹿島のプロ選手としての基準を最後まで貫くことを選んだ。

 それだけに引退で安堵も覚えているという。「自分をセーブしながらプレーしてきた。試合に出る出ない、勝つ負けるよりも自分の中ではすごくつらかった」と吐露。プレーから退く寂しさよりも、「やっと終われるなという気持ちの方が強い」と話した。

 親交がある三浦知良選手(横浜FC)には、リーグの過密日程などを考慮して事前に引退について知らせなかったというが、「自分はカズさんに憧れてサッカーを始めた。その人より先に引退することは、すごく幸せだなと思う」とも話した。


取材・文:木ノ原句望