合言葉は「必ず笑う」星槎国際高校湘南・土屋監督と球児の”甲子園がなかった”夏
そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない
星槎国際高校湘南野球部、土屋監督の趣味はウクレレ。かつては恐れられたが今はいたって優しい。5年前に監督に就任した土屋監督は星槎国際湘南を激戦区・神奈川で指折りの強豪に育て上げた。
高校時代はキャッチャーとして甲子園で優勝も経験した土屋監督は母校、桐蔭学園の監督を30年に渡って務めた。再び監督に就いたのは甲子園10度出場の手腕を買われたから。
かつての教え子・巨人で活躍した高橋由伸は「土屋監督あっての自分」と公言し今もなお恩師と慕う。
合言葉は「必ず笑う」
プロ野球に20人以上の選手を送り込んだ名伯楽は時代に応じてやり方を変えてきた。卒業生には"鬼"と呼ばれた土屋監督だが、今はスマイルというサインを出す。必勝は必勝でも「必ず笑う」が合言葉。
土屋監督の指導は親御さんたちにもすこぶる評判がいい。選手の中には親子二代に渡って教えを受けている者も。父は桐蔭学園の野球部出身で、息子は父の勧めで高校を決めた。教わったのは野球だけではなく生き方もだったと父は言う。
「親への感謝。両親への感謝の気持ちを持ってプレーしなさい」
やり口や接し方は時代の風を見て変える。しかし教えの根本は絶対に曲げない。
甲子園が中止となった、3年生最後の夏
だが名将をも悩ませたのが今年の夏だった。5月にされた甲子園中止の発表。目指していた目標が突然なくなった。チームのピンチに真っ先に立ち上がったのは、キャプテンの濱田くんだった。濱田くんは3年生29人を集めてこう言った。
「俺は監督さんを神奈川一にしたい」
6月下旬、3年生にとっては最後の夏。思い出作りを優先するか、勝利を優先するか、それによって神奈川の独自大会をどう戦いたいかによってベンチ入りメンバーは大きく変わってくる。土屋監督は選手たちに問いかけた。
「勝ちにこだわって一番良いメンバーで戦いたいです」
8月、神奈川独自大会にベストメンバーで臨むことを選んだ選手たち。先発メンバーには4人の1、2年生が入った。ベンチ入りから漏れた3年生はスタンドで応援する。
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土屋監督は、勝利を最優先しながらも選手交代をまじえ、ベンチ入りした25人中、24人を出場させた。
その後もチームは快進撃を続け、準決勝にまでコマを進めた。そこで力尽きたが激戦区・神奈川で堂々のベスト4という結果を残した。
監督の「最後のノック」
それから2日後、土屋監督は3年生のために花道を用意していた。3年生に一日だけの背番号を渡して、最後の試合に臨む。相手は練習試合で親交がある逗子高校。彼らもまた同じ「必笑」をスローガンにしている。
始まったラストゲーム。この日で野球生活を終える選手も多かった。そして試合後、選手から土屋監督へあるお願いが。
「監督さん、最後のノックお願いします」
甲子園がなかった夏。それでも彼らは成長していた。
交わしたボール、交わした笑顔を糧にして。