ソフト主将 山田恵里 東京五輪は「本当に怖かった」金メダルの重圧明かす

ソフトボール

2021.8.13

_ITA5202.JPG山田恵里 Photo:Itaru Chiba

東京五輪女子ソフトボールで金メダルを獲得した山田恵里(37・デンソー)が12日、テレビ東京の取材に応じ、今大会を最後に20年間の日本代表活動から引退することを明らかにした。

金メダルが当たり前と言われる中で背負った重圧や恐怖、それを支えたチームの存在やこれからのソフトボール界についてなど、30分に渡るインタビューで東京五輪までの道のりを振り返った。

金メダルが当たり前の重圧

ー東京五輪で金メダルを獲得してから周囲の反応は

金メダルを期待された中での大会だったのですが、本当に金メダルで良かったなと思いますね。これがもし銀メダルだったらどうなってたのかと考えると怖いです。

一番は恩返しのオリンピックにしたいと言っていましたし、それが一番いい形でできたというのはよかったと思います。

ー金メダルと銀メダルの違いは感じるか

感じますね。ソフトボールはやはり金メダルが当たり前の中で、メダルが全然取れない中で銀を取ったというのと、金メダルが期待された中での銀というのは全然違うので。やっぱり天国と地獄くらいの違いはあるんじゃないかと思いますね。

大会が始まれば楽しめたりできるのかなと思っていたのですが。始まってからの方が辛かったです。重みと重圧と苦しさと辛さと怖さと。

「こんなにオリンピックって重かったっけ?」と。13年前(北京五輪)とは全然違うので、自分の置かれている立場や責任だったり。

抱えているものの大きさがこの13年間で変わっていたので、苦しかったですね。本当に怖かったです。

ー怖さは周囲からの注目の高さもあったか

結果を出さなければいけないっていう思いはありましたし、本当に予選で1試合でも負けたら金メダルは取れないというような予選の状況だったので、予選の怖さといいますか一勝の重みを感じていました。

ー金メダルの瞬間、守備につくセンターではどんな気持ちでいたのか

「キャッチャーフライかよ!」っという感じです。(笑い)間に合わないのですよ、一生懸命走っても。なのでそれは思いながら。

でも「絶対にこの回で終わりたい!」と思っていて。同点になったりタイブレークになったら向こうに勢いがついてしまうので、絶対この7回で終わらせたいと思っていました。

やっぱり前回の北京五輪もそうだったのですが、「金メダルだ!」というよりは「勝った、終わった」という気持ちの方が大きかったですね。

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上野由岐子 Photo:Itaru Chiba

「1人で抱えていたらダメだった」

ーこれまで「自分が結果を出せばチームが付いてくる」と口にしてきた中、五輪では思うような結果が出ない時間が続いた。自分とどのように向き合ったのか

今回は自分が結果を出さなくても結果を出してくれる人がたくさんいたので、それはみんなに助けられましたし、合宿の時から相談をお互いしあったりもしていましたし、信頼関係は築けていました。

今回に関しては自分が結果を出さなくても大丈夫なチーム状況だったので、チームが一つとなって毎試合戦えていたので、勝てる勝てないに自分の結果が左右することはありませんでした。

ただ自分の心境としてはやっぱり貢献したいという思いが強かったので、立場もありますし、チームが勝っていた中でもそれができていなかったのは、本当に申し訳ないなという思いがありました。

ー自分の中でモヤモヤとしたものがあった

そうですね、本当に苦しかったです、怖かったですし。でも本当にみんなと色々話ができたことが良かったですね。もしこれが誰にも何も相談できずに1人で抱えていたら最後までダメだったんじゃないかと思いますね。

上野さん(上野由岐子=ビックカメラ高崎)にも相談させてもらいましたし、山本優(ビックカメラ高崎)とか藤田(倭=ビックカメラ高崎)とか色々な話はできていたので助けられましたね。それで乗り越えた感じですね。

ー自分がキャプテンとして作り上げてきたチーム

この5年間、毎年毎年メンバーの入れ替わりはあったのですが、一人一人の成長、年々大きくなっていく姿を目の当たりにして立場や責任を理解すると、こんなにも人って変わるんだなと感じました。

みんなの姿を見て自分もしっかりしなければいけないなと思いました。なんとかチームを円滑に回せるような仕事がしたいなという風には思っていました。

競技生活左右する一打「自分まだまだ大丈夫じゃん」

ー自分自身の成長はどんな所に感じているか

自分は成長していないんじゃないですか(笑い)成長できた部分は正直感じられないのですが、維持はできていたのではないかなと思います。

色々なものを背負った中でそこまで落ちずに保てていた。それがもしかしたら成長なのかもしれません。


ー予選リーグ第4戦カナダ戦でのサヨナラ勝ちは復調のきっかけになった

(あの一打は)狙っていました。その前の打席でも(アメリカの)ローリー投手とは対戦していたので、これを投げてくるかなというイメージはありました。

あとは故意四球、故意四球で満塁で回ってくるという意識もありそこの悔しさはあったので「自分で勝負するのか。絶対打ってやる」という思いもありました。

それまでの結果も良くなかったですし、前日のイタリア戦では代打も出されましたし。

カナダ戦では「やるしかない」という状況に自分で追い込んだので、それを自分でまた乗り越えられたというのは、「自分まだまだ大丈夫じゃん」と思いましたね。

あのまま終わるのではなくてそこでまた結果が出たので。競技生活をどこまでやるのか今まだ正直わからないのですが、あのまま結果が出ていなかったら「絶対にやらない」という決断に至っていたと思います。

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Photo:Itaru Chiba

東京五輪は「全然楽しくなかった」

ー山田選手にとって東京五輪とは

総括すると楽しかったって言いたいところですが、全然楽しくなかったです。本当に重たかったです。最初は楽しくて楽しくて仕方ないソフトボールだったのですが、立場が変わって責任が変わって重みも変わったので。

ただ楽しくということはなかったので、良いことよりうまくいかないことの方が多かったですし、でも代表活動の役目は果たせたかなと思います。