不思議な縁で繋がる栗林良吏とコーチ・山内壮馬、”2度目のドラフト”二人でつかんだ1位指名

野球

2020.12.3




そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない

愛知県にある名城大学で栗林良吏に初めてカメラを向けたのは4年前のこと。取材の狙いは当初、栗林ではなく、コーチの山内壮馬のほうだった。

かつてドラフト1位で中日に入団した山内は愛知県出身で名城大学を出た地元選手。期待は大きかったがプロ生活9年で通算17勝に終わった。引退後、母校・名城大学のコーチに就任した山内のセカンドキャリアを追う取材で、カメラは栗林の存在を知る。

山内は栗林をプロに行ける素材と紹介してくれた。真っすぐとスライダーしかなかった栗林が大学で伸びたのは、カーブを習得したから。

実はコーチの山内がカーブを覚えたのはプロ2年目。もっと早ければと心残りがある。同じ轍は踏ませたくない。山内は見初めた栗林を、自らの経験に沿って導いていく。

サインボールが繋ぐ不思議な縁

運命的に結ばれた師弟関係。そこには経歴の重なりもあった。栗林も山内と同様、愛知に生まれ育って地元の名城大学に進んでいる。

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三人兄弟の末っ子の栗林は、慎重な性格で争うのが苦手。自分のせいで負けたくないからピッチャーはずっと避けてきた。高校3年の春、エースの怪我でやむなくマウンドに上がったのがピッチャー歴の始まり。

実績も自信もなかった栗林だったが、大学で出会った山内にこう言われた。
「プロで十分やれる」

大学4年、ドラフトを意識し始めた栗林。希望球団はないが、子供のころは中日のファンだった。小学生のとき貰ったサインボール。
実はこれ、現役時代の山内のサインボール。



少年野球チームで中日選手のサインボールが無作為に配られた時、たまたま栗林にのちにコーチとなる山内のボールが渡っていた。

互いに呼び合った。そうとしか思えない不思議な縁。

"最初"のドラフト

プロで苦労した山内は厳しかった。気の優しさが災いして厳しい内角を突けない栗林に、それを教え込む。大学野球なら今のままでも勝てる。しかし、プロは違う。生活を賭けた戦いの場には甘さが残っていたら呼ばれない。

大学最後の夏、山内への信頼が背中を押した。栗林はカーブに続く新たな球種、フォークを習得する。得意のスライダーにカーブとフォーク。自信は深まった。獲得の意思を示す調査書は12球団全てから届いた。

そして迎えた"最初"のドラフト。指名有力という声も聞こえる中、山内と共にその時を待った。憧れの中日を含め栗林の指名はなかった。



指名に値する評価はされていた。しかし、3位以下なら社会人に行くと各球団に伝えていた。それくらいの実力がなければ通用しないと思っていたからだ。その結果、指名漏れとなってしまった。

謙虚な姿勢でつかんだ1位指名

栗林はプロへの夢を封印し社会人へと進む。古田敦也など幾多のプロを輩出した名門、トヨタ自動車。活躍を誓い、卒業を待たずに参加した春季キャンプで、栗林はキャッチャーから衝撃的な言葉をかけられた。

「このスライダーは通用しない。」

ここまで最も得意とし頼りにしてきたスライダーを真っ向否定されたのだ。その言葉が説得力を持つのは発言の主、細山田武史がプロ経験者だからだ。細山田は7年間のプロ生活で200試合以上に出場。高い技術を持つ打者にどんなボールが通じるかを見極めてきた。

栗林のスライダーはかなり大きく曲がっている。しかし曲がり始めが早いためレベルの高い打者には見極め易いという弱点があったのだ。もしも反発していたらそこで終わっていたかしれない。

だが彼は謙虚だった。ここで生き残りたいと他の持ち球を磨く。フォークは直球と同じ軌道を心がけ、カーブは打者の手元の切れを追求した。



大舞台も成長の糧になった。一年目から都市対抗の決勝に先発し、マウンド度胸を見せると評価はうなぎのぼり。練習試合にさえプロのスカウトが詰め掛ける。

甲子園にも出られなかった高校時代。伸びはしたがドラフトの指名を逃した大学。足元を見つめ直した社会人。全ての歳月を肥やしにして彼は成長した。「社会人ナンバーワン投手」いつしか付けられた呼び名がその証。だから今度こそ。

迎えた2度目のドラフト。晴れてつかんだ1位指名。会見を終えた栗林はいの一番に恩師・山内へ連絡を入れた。

小学生のとき、偶然もらったサインボールは運命のサインだった。
次は自分が勝利のサインボールを渡したい。