バレーボール女子日本代表・長岡望悠 二度のじん帯断裂からの復活、1年10ヶ月ぶりのコートで流した涙の理由

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2021.1.4


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そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない

4年前のリオオリンピック。日本女子バレーは大きな転換点を迎えた。

それまでのエース、木村沙織に代わって、当時25歳の長岡望悠がその座を引き継いだのだ。バレー界では貴重なサウスポー長岡の所属は、国内リーグの強豪・久光スプリングス。練習場を訪ねて、長岡のすごみを目の当たりにした。

身長179センチとスパイカーとしては、完全に小柄な部類なのになぜ世界を相手に打ち勝てるのか。その理由はジャンプ力だ。最高到達点310センチ。選手平均を10センチ以上近く上回っている。さらにスパイクコースの広さも見逃せない。肩の強さとしなやかさを活かし、クロスやストレートにと自在に打つコースを変えられる。

絶対的な力があるのに物腰はすこぶるやわらかい。それが彼女の魅力。

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現日本代表監督・中田久美との出会い

晴れる日ばかりではなく時に雨も降るバレー人生を歩んでいる。

【動画】バレーボール女子日本代表・長岡望悠 コートに舞い戻るまでの涙の軌跡/Humanウォッチャー

福岡と熊本の県境の町に生まれた。三姉妹の末っ子で二人のお姉ちゃんに甘えて育った。バレーを始めたのは小学2年生。高校は大分県にあるバレーの名門・東九州龍谷高校。エースを任され春高バレーを始めとする高校三冠を達成している。

卒業後に入団した久光スプリングスに大きな出会いが待っていた。現在の日本代表監督、中田久美が当時の久光スプリングスを率いていたのだ。中田は長岡を手塩にかける。高校出たてで経験に乏しく優しさの裏返しで甘さもあった長岡は、中田監督のもとで飛躍を遂げる。絶対的エースに成長し6年間で4度のリーグ優勝というチームの黄金時代を築いた。

オリンピックも経験し日の出の勢いでスターへの階段を登っていった長岡。だがその矢先、愛するコートの中でそれは起きてしまう。

リオの翌年のことだった。

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着地でひねり、ちぎれたじん帯。診断の結果は左膝前十字じん帯断裂で全治8ヶ月の重傷だった。手術を受けてリハビリに励み、1年2ヶ月の歳月をかけてコートに戻った。

運命を変えてくれた二人のトレーナー

その5ヵ月後には世界最高峰、イタリアリーグへの移籍を決める。東京オリンピックまであと2年。エースの自分が今、世界に出て揉まれなければ、メダルには届かないと思ったからだ。

だが新天地での8試合目、再び起きてしまった事故。1年半前に重傷を負い、手術した左膝をまた壊してしまった。再び切れたじん帯。東京オリンピックを見据えた念願のイタリア武者修行はわずか一か月で幕を閉じた。

立たされた絶望の淵。だが運命は出会いで変わるもの。去年からこの二人がリハビリに寄り添ってくれた。

一人は肉体作りのプロ。精通した知識で筋力アップの指導を受け持った油谷トレーナー。油谷が工夫を凝らしたのはメニューだった。辛いリハビリが少しでも楽しくなるよう様々な道具を用いた。長岡の武器、肩の強さを失わないことにも心を砕いた。

そしてもう一人。若宮トレーナーはメディカル担当、治療と回復の専門家。若宮は会話を重んじた。膝の状態を聞いただけではない。家族、食べ物、天気...話題は何でも良かった。言葉を吐き出すことで、心が軽くなることを狙っていたからだ。

やっと辿り着いた復帰戦のコート

そして今年。夏が終わったころ、復帰の見通しが立った。10月に始まる国内リーグで実戦に戻る。思えば去年は丸1年、今年も10ヶ月をリハビリに費やした。見えてきたトンネルの出口。

長岡望悠の復帰戦、その日が来た。

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左膝には幾重ものテーピングが施された。痛みはまだ消えていないし、怖さもある。その中でどれだけできるか。東京オリンピックは応援する側に回ろうと一度は出場をあきらめた。だが一年の延期で希望の光は差し込んだ。

先発からは外れたが第2セットに名前を呼ばれた。踏み出した一歩。1年10ヶ月ぶりのコート。自分の居場所はやっぱりここだった。すべき仕事も、充実感も、仲間の絆もコートの中に全てがあった。計8得点と上々の結果で期待に応えた。泣きながら歩いたトンネルがこの日につながっていた。

そして届いた嬉しい知らせ。それは2年ぶりの日本代表からの招集。中田久美監督のたっての希望で実現した。

東京オリンピックは応援する側に回ろうと一度は思ったが、今は違う。一歩ずつを信じて進み、自分の居場所をそこに作りたい。