ソフトボール・上野由岐子「負けたほうが楽しい」垣根を超え、アスリートたちの道標となり続ける彼女の”生き様”

ソフトボール

2021.1.8




そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない

2020年6月、強いられた自粛生活の中、それでも上野由岐子は前を向いていた。ストイックに道を追求する修行僧のような気構えが上野にはある。

しかしそれは彼女の一面に過ぎない。人目も気にせず道端でたこ焼きを頬張ったかと思えば、先輩にこっそりいたずらを仕掛けたり。肩の力は努めて抜き、とは言え決して抜き過ぎない。



彼女のここまでの人生はくっきりと二つの時期に分かれる。2008年、26歳で出場した北京オリンピック。その決勝が前半のクライマックスだった。

しかし喜びは束の間、ソフトボールがオリンピック種目から除外された。国際大会はあったが、上野は日本代表を辞退する。

引退を踏みとどまった32歳

2年後に代表に戻り世界選手権を連覇。しかしその舞台にはあまりにも寂しい光景が広がった。北京の金メダルフィーバーが過去のものとなる中、上野の左ひざは限界に達する。

【動画】ソフトボール日本代表・上野由岐子 38歳、いまだ進化中/Humanウォッチャー

当時32歳。引退も考えた。辞めるほうが普通なのかもしれない。それでも踏みとどまった理由は「若い選手にオリンピックの舞台を踏ませてやりたい」から。オリンピック種目復活へ、自分がいることが助けになるなら恩返しのつもりで現役を続けると決めた。

だが再び膝を壊すわけにはいかない。同じ怪我を繰り返したらそれは再起不能になることを意味する。そのため鍵は左膝への負担が少ない新たな投球フォームの習得だった。

怪我から10ヶ月、ダッシュができるようになった。小さな一歩を重ねる日々。大切なのはその小さな一歩を自分がどうとらえるかだ。人間の挑戦に年齢制限などない。

年齢と向き合う楽しさを見つけた35歳

その後、東京オリンピックでのソフトボール復活が決定する。35歳になった上野は意欲的だった。年齢と向き合い、工夫してカバーする。それが楽しい。時代にも人生にも波はある。身を持って知った。成功の種は失敗の中に埋もれていることも今は肌身でわかる。

上野「勝ち続けるよりも負けたほうが楽しい」

経験は宝だ。後を追う者たちの道標になる。



アスリートたちとの交流

今年1月、上野が信頼する鴻江トレーナーが開いた合宿には、垣根を越えたアスリートがつどった。

巨人のエース菅野は、去年不調に苦しみ打開策を求めていた。今年の復活につながった新しい投球フォームは上野の後押しで決心できたという。同じ合宿の参加者、ソフトバンクのエース千賀も上野から刺激を受けたと語る。



「プレッシャーをどう受け止めて、どう楽しむか」

どんなに困難な時代にも希望は必ず見出せるものだと上野由岐子の生き様は教えてくれる。