劇団四季 代表
浅利 慶太(あさり・けいた)
当初から、"芝居だけで劇団員が生活できる経営"を目指してきた。次第にミュージカルにウエイトを置くようになった劇団四季のターニングポイントは、代表的なミュージカルの演目「キャッツ」だった。
日本の劇場は、通常1~2カ月単位で使用されている。しかし、「キャッツ」で使用するような大規模な舞台は、初期費用も巨額で1~2カ月の公演では回収できない。そこで、都心の遊休地に専門シアターを特設。こうして、ロングランをベースにした経費算出が可能になったのだ。また、テレビCMを使った大規模な宣伝を展開。さらに、当時チケット販売に主軸を移そうとしていたチケットぴあと組み、強力な販売網を持ったことも、演劇界のシステムを変える画期的なことだった。「キャッツ」は、日本に新たなミュージカル市場を作り出したのだ。26年間で、東京、名古屋、福岡、札幌など全国8都市で公演、総入場者数は、750万人以上と日本演劇史上最多記録を更新している。
「キャッツ」以後、四季では自前の常設シアターを各都市に設け、役者約700人、経理・広報などを行う従業員数約200人を含んで劇団員全体では、約1,200人に上る。年間公演数 3,600回、観客層動員数311万人(2008年度)を誇り、この7年は売上高200億円以上をキープし続けている。
そして、今回の浅利慶太は、劇団四季創設者の1人で、四季のほとんどの作品にかかわる現役の演出家。さらに、四季株式会社の代表取締役社長でもある。浅利の演出家としての思いとその経営手法に村上龍が迫る。
RYU'S EYE
座右の銘
放送内容詳細
◆キャッツ 横浜公演
「カンブリア宮殿」では、2009年11月に幕を開けた『キャッツ』横浜公演が?落としをむかえるまでの舞台裏に密着した。アドリブやアレンジは一切許さないという厳しい稽古の様子から、集客に走り回る営業マンの姿・・・。また、村上龍が「キャッツ」を観劇、そこで何を見出したのか。
◆「演劇界のユニクロ」
「舞台だけで食える」ことをモットーに経営をしてきた浅利。劇団四季の役者は、激しい競争に勝ち抜きオーディションを通れば、専属契約を結び年俸制となる。収入が保証され、レッスンも受けられる。横浜市にある劇団四季の根拠地は、5200坪の広大な敷地に充実のトレーニングルームや稽古場があり、劇団員の育成環境は充実していた。しかし一方で、節電や省エネは徹底している。
一昨年、劇団四季は料金の値下げを発表。ガラス張りの席や託児所を設けるなど家族で来やすい仕組みづくりを進めている。そんな劇団四季は「演劇界のユニクロ」とも呼ばれている。劇団特有の経営の難しさを聞く。
◆未来のファンを増やせ
四季の劇場は、修学旅行で人気のスポットになっていた。貸切してくれる修学旅行生たちは、四季を支える存在でもある。
また、劇団四季は2008年から、「こころの劇場」をスタート。地方に住むこどもにも演劇を通して、「こころ」を育んでほしいという思いから、日本全国をまわり児童を無料招待する。番組では、島根県の小さな町での公演に密着。そこには、初めてみるミュージカルに目を輝かせる子供達の姿があった。「こころの劇場」は年間55万人の児童を動員、未来のファンを増やしている。
ゲストプロフィール
浅利 慶太
- 1933年東京都出身
- 1953年慶応義塾大学在籍中に「劇団四季」結成
- 1961年日生劇場の制作営業担当取締役に就任、劇場運営のノウハウを学ぶ
- 1964年日本初の本格的ミュージカル、米国人キャストでの『ウエストサイド物語』をプロデュース
- 1983年東京・西新宿で『キャッツ』開幕。日本で例のなかった1年のロングランとなる
- 1998年長野オリンピック開閉会式の総合プロデューサーを務める
- 2008年年間公演数が初めて3,500を越える
村上龍の
編集
後記
芸術的才能と政治的手腕、実は同じものではないか、浅利慶太さんを見ているとそういう気がする。状況を客観的に俯瞰し、基本に忠実に脚本と演出を準備し、最適解と完成形を正確にイメージして具体化していく。その作業はあらゆる表現に共通している。大胆さと繊細さ。浅利さんは少しだけ繊細さが勝っていて、それが大勢の人々を魅了する。
















