セーレン 社長
川田 達男(かわだ たつお)
RYU'S EYE
座右の銘
放送内容詳細
アパレルの革命児 ファストファッションに挑む!
H&Mに、フォーエバー21・・・、勢いがあるのはファストファッションばかりのアパレル業界。そんな中で「大量生産の安売りファストファッションはいずれ終わる時期がくる」と断言するのが川田だ。川田が立ち上げたセーレンのコンピューター染色システム「ビスコテックス」は、そんなファストファッションに対抗するセーレンの武器。デザインデータをコンピューターに取り込み、インクジェットプリンターのような方法で布地を染め上げる。従来の染色方法では、10~20色までしか使えなかった、「ビスコテックス」は1677万色、ありとあらゆる柄が表現できる。さらに少ロットでの生産が可能なため、大量生産するしかないファストファッションとは一線を画す。
革命児社長は元「窓際族」
繊維業界に勢いのあった1962年にセーレンに幹部候補生として入社した川田。しかし、入社早々「手だけあって頭のない会社」と会社を批判したために、大卒社員としては異例の工場勤務を命じられる。その後も、エリートコースを外れたままの、まさに「窓際族」。
しかし、川田は諦めなかった。新しい製品を開発し続け、1976年に繊維製の自動車シートを発売、大ヒットとなる。このヒットが評価され、窓際族から一転、47歳で社長に抜擢された。社長となった川田は、染色するだけの下請け企業だったセーレンを、自社で原糸から織?編?縫製?企画?販売までの一貫生産を自社で完結する世界初の総合繊維メーカーに生まれ変わらせた!「世の中に不可能なことは多くはない。できないと思っていたことをできるようにするのが仕事」と語る川田の企業革命に迫る。
ゲストプロフィール
川田 達男
- 1940年福井県生まれ
- 1962年明治大学経営学部卒業後、福井精練加工(現セーレン)入社
営業開発部時代に自動車シートを大ヒットさせる - 1987年セーレン社長就任
企業プロフィール
- 創業:1889年(明治22年)
- 本社:福井県福井市
- 売上高:981臆円(2009年3月期)
- 従業員数:5007人(2009年3月末)
村上龍の
編集
後記
川田さんが目指したのは「下請けからの脱却」だった。高度成長の時代まで、ほとんどの会社は国家もしくは大資本の下請けだったが、旺盛な需要のせいで利益は上がった。サバイバルなど考える必要がなかった。今だにその余韻が残り、国全体が下請け状態から脱し切れていない。自立は簡単ではないが、他に方法はないことを、川田さんは実証した。
















