カンブリア宮殿

村上龍 × 経済人

10001054

テレビ東京系にて放送中

2010913日放送

不況でも売れ続ける驚異のディベロッパー
~成長する街づくりビジネス~

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山万 社長
嶋田 哲夫(しまだ・てつお)

1962年に入居が始まった千里ニュータウン、1971年に入居が始まった多摩ニュータウン。高度成長の時代、人々が希望に胸を膨らませ新都市計画が遂行された。あれから40年・・・。今や限界集落となってしまったニュータウンも少なくない。高度成長期に一斉に入居した住民は一斉に高齢化し、子供世代は新たな土地へと巣立っていた。
その結果、町は老人たちばかりが住むゴーストタウンと化してしまった。

そんな中、一線を画するのは、千葉県佐倉市にあるユーカリが丘ニュータウンだ。

1979年の入居開始以来、街は発展を続けており、人口も増え続けている。さらに高齢化率は全国平均の22%を下回る17%。今も若年層の入居希望者が後を絶たない。
売ってしまえば撤退が常識のディベロッパー業界にあって245ha(東京ドーム52個分)もの広大な土地を「発展し続ける街」として40年経った今日も、家やマンションが売れ続けるこの町、行政ではなく、いち民間企業、山万が作り上げた。
実は、山万は鉄道、学校、老人ホームなど住民の生活に必要なインフラを自前で作ってきたのだ。ニュータウン内を走る新交通も自前で運営、警備会社も自前、来客が泊まれるように作ったホテルも、温泉スパのあるレジャーセンター、保育所なども全て自前で運営している。さらには、学校も自前で建築し市に寄付、県内最大規模の映画館やスーパーなども全て、山万が建物を貸与し、誘致してきた。
しかし、年間販売数は僅か200戸。目先の利益を追わない超長期経営、景気に左右されない超安定経営。
その狙いは、「家を売るのではなく街を売るコミュニティービジネスが基本。そのためには売り上げの拡大のみを追うのではなく、非効率的な経営も行わなければならない。その結果、長期安定経営が可能となる。」
そのため、一軒家が広すぎて持て余す老人がマンションに買い替えするときには、高額で家を買い取り、ほぼ無出費で買い替えでき、買い取った一軒家はリフォームし、若い世代に格安で販売する。

"生涯住みたい町""若者に人気の町"はどのように作られたのか?

行政では決してできない民間企業の街づくりは過疎化に悩む日本全国の地方都市のヒントとなるのか?

社長の金言

年を取っても 住み続けられる街をつくる

RYU'S EYE

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座右の銘

座右の銘

ゲストプロフィール

嶋田 哲夫

  • 1935年福井県生まれ 実家は何十代と続く地主 嶋田は二男
  • 1954年福井商業高校卒業後に繊維の卸会社に入社
  • 営業担当として福井で3年、大阪本社で4年間勤める
  • 1961年取引のあった山万の専務に誘われ山万に入社
  • 業務拡大のための東京進出に伴い、東京支店長に就任
  • 1964年取締役就任
  • 1965年湘南ハイランドの開発を手掛ける
  • 1971年ユーカリが丘ニュータウン開発を手掛ける
  • 1983年ユーカリが丘線開通(ユーカリが丘駅建設→京成電鉄に無償譲渡)
  • 1993年社長就任(3代目) 現在に至る

企業プロフィール

  • 山万株式会社(非上場)
  • 本社:東京都中央区
  • 営業所:ユーカリが丘
  • 従業員:114名
  • 売上高
  • 2009年:121億円
  • 2008年:146億円
  • 2007年159億円
  • (分譲が5割、テナント事業が3割、建築関連等が2割)
  • 営業利益
  • 2009年:15億1000万円
  • 2008年:9億8000万円
  • 2007年:15億8000万円
  • グループ会社(社員数 約1700人)

村上龍の
編集
後記

ユーカリが丘は、地域社会のモデルとなり得る奇跡の街だ。「こんな街、他にありますかね」と聞くと、「いや、ないと思います」と小さな声で、しかも照れたような表情で嶋田さんは答えた。どうしてこんなに謙虚なのだろうと思った。真の事業家は決して威張らない。成功しても常に改善点を探し続ける。進化し続ける人や企業は、謙虚にならざるを得ないのだ。

村上龍

読んで分かる「カンブリア宮殿」コラム

JMM Japan Mail Media 編集長 村上龍

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