サッカー日本代表 前監督
岡田 武史(おかだ・たけし)
2010年、南アフリカで開催されたFIFAワールドカップ。日本は、海外で開かれたワールドカップで初めて勝利し、決勝トーナメントに進出した。日本を、歴史的快挙に導いた指揮官が、岡田武史だ。
2007年。病に倒れたオシム監督に代わって、岡田は日本代表監督に就任した。 当時の岡田は、サッカー指導者として悩み、サッカーを離れた生活を送っていたが、「ここで、逃げてはいけない」と、代表監督就任を決断した。岡田が抱えていた「悩み」とは、選手が監督の「ロボット」と化してしまうことだった。監督がやれ、と言うことは従順にやるが、言われたことしかやらない。Jリーグで優勝を積み重ねても選手の主体性や、闘争心を引き出すことは出来なかった。
日本代表監督に就任した岡田は、選手の意識を変える「秘密の鍵」を探し続けた。「日本は個では勝てない」「技術では勝てない」。そんな意識の壁を超えようと、「ベスト4」を目標に掲げた。岡田は得意とする理詰めの指導を封印した。選手の本能的な判断を育てるために、無意識に働きかけるよう工夫したビデオを多用した。選手には世界で闘うための、自発的な努力を促し続けた。岡田には、勝敗を分けるのは、戦術を超えたものだという、信念があった。ワールドカップイヤーに入ると、日本代表は敗北を続けた。岡田は、本番直前まで模索を続けた。システムを守備的に変え、選手も変えた。日本中から大ブーイングを受けても、「世界で一番、日本代表のことを考えているのは自分」と開き直った。そして、指揮官は、日本代表を「最高のチーム」にまとめ上げ、歴史的な快挙を達成した。
なぜ、岡田ジャパンは勝ったのか?岡田の頭脳とも言える書斎や、精密に戦略が描かれた秘密のノートなどをテレビ初公開!また、岡田の異色なブレーンたちが登場し、岡田の監督術の秘密を初めて語る!
歴史的勝利を呼んだ勝負師が、カンブリア宮殿に登場。いま、すべてを明かす!
2007年。病に倒れたオシム監督に代わって、岡田は日本代表監督に就任した。 当時の岡田は、サッカー指導者として悩み、サッカーを離れた生活を送っていたが、「ここで、逃げてはいけない」と、代表監督就任を決断した。岡田が抱えていた「悩み」とは、選手が監督の「ロボット」と化してしまうことだった。監督がやれ、と言うことは従順にやるが、言われたことしかやらない。Jリーグで優勝を積み重ねても選手の主体性や、闘争心を引き出すことは出来なかった。
日本代表監督に就任した岡田は、選手の意識を変える「秘密の鍵」を探し続けた。「日本は個では勝てない」「技術では勝てない」。そんな意識の壁を超えようと、「ベスト4」を目標に掲げた。岡田は得意とする理詰めの指導を封印した。選手の本能的な判断を育てるために、無意識に働きかけるよう工夫したビデオを多用した。選手には世界で闘うための、自発的な努力を促し続けた。岡田には、勝敗を分けるのは、戦術を超えたものだという、信念があった。ワールドカップイヤーに入ると、日本代表は敗北を続けた。岡田は、本番直前まで模索を続けた。システムを守備的に変え、選手も変えた。日本中から大ブーイングを受けても、「世界で一番、日本代表のことを考えているのは自分」と開き直った。そして、指揮官は、日本代表を「最高のチーム」にまとめ上げ、歴史的な快挙を達成した。
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RYU'S EYE
座右の銘
ゲストプロフィール
岡田 武史
- 1956年生まれ、54歳。早稲田大学政治経済学部卒業。
- 1980年古河電気工業(現ジェフユナイテッド市原・千葉)に入社、サッカー日本代表にも選出され、DFとして活躍する
- 1990年現役引退、古河電工コーチ就任
- 1992年ドイツへコーチ留学
- 1997年W杯フランス大会予選中にヘッドコーチから監督へ昇格
- 1998年W杯フランス大会に日本代表監督として出場
- 1999年J2コンサドーレ札幌監督就任、翌年にはJ2優勝し、J1昇格を果たす。
- 2003年横浜F・マリノス監督に就任、1年目から2年連続年間優勝タイトルを獲得
- 2006年任期途中でマリノス監督を辞任
- 2007年病に倒れたオシム監督に代わり、日本代表監督就任
- 2010年W杯南アフリカ大会出場、決勝トーナメント進出
村上龍の
編集
後記
はじめての出会い以来、岡田さんの印象は変わらない。何て素直な人なのだろうと、会うたびにそう思う。その素直さが、個々の選手とチームの可能性を開花させた。選手とともに悩み、ともに怒り、ともに考えて、限界に挑み、乗り越えることで、日本は予選を突破した。自分がどのくらい弱いのかを把握できなければ、人も組織も進化できない。
















