ケニア・ナッツ・カンパニー 創業者
佐藤 芳之(さとう・よしゆき)
だが「援助で自立はできない。必要なのは収入を得る糧だ」と、"アフリカ人の自立"のため、ビジネスにこだわる日本人がいる。佐藤芳之(71歳)だ。佐藤は、50年近く前に単身、アフリカに渡り、一代で年商30億円、ケニア最大の食品加工メーカー『ケニア・ナッツ・カンパニー』を創業した。さらに佐藤は齢68にして、その成功をケニア人に譲り、新たなビジネスに挑戦している"すごい日本人"なのだ。
なぜ、佐藤は日本から遠く離れた「ケニア」に渡ったのか?どんな努力で成功を収めることができたのか?そして、人生の終盤を迎えてなお、挑み続けるのか?
番組では、一代でケニア最大の食品加工メーカーに育て上げたノウハウを解明するとともに、佐藤の新ビジネスに密着!日本から1万2000キロ離れた「アフリカ大陸」を舞台に活躍する日本人の姿を広大な自然とともに紹介する特別企画!
RYU'S EYE
座右の銘
放送内容詳細
ケニア最大の食品加工会社を作った男
『ケニアナッツ』はマカダミアナッツを中心に紅茶、コーヒーにワインなどを生産・販売している会社。 日本では知られていないがその取引先は、「ゴディバ」や「ネスレ」など世界企業。工場で働くスタッフに、原材料のナッツ作る農民など、『ケニアナッツ』が生み出した雇用は10万人。その収入で支えられる家族は100万人。人口4000万人のケニアの40人に一人というからその規模は計り知れない! しかしその道のりは平坦ではなかった。遅刻に無断欠勤は当たり前。食品加工に携わりながら衛生面に無頓着・・・佐藤の前に、文化や風俗の違いが幾度となく立ちはだかった。 そこで佐藤が持ち込んだのが"社員を大切にする"日本式の経営だった。 無料で社員が利用できる医務室。家族が病院にかかれば医療費の85%は会社持ちだ。10時のティータイム。社員のために独自の社内ローンも設立した。 佐藤の誠実さと日本式経営。この2つが相乗効果となりケニア人が自立できる会社が出来たのだ。
齢68にして、再スタート!
年商30億円にまで成長した『ケニアナッツ』を佐藤は2008年、68歳の時に手放してしまう。それもタダ同然で。「ケニアの自立は達成できた・・・だが、自分が本当にやりたいのはアフリカ人の貧困そのもののからの脱出だ」 佐藤が向かったのは、ルワンダ。1994年の民族大虐殺で100万人が殺されたという悲しい国で佐藤は新たなビジネスをスタートさせた。今度はバクテリアを利用した公衆衛生事業。ルワンダでは貧困のためにトイレが不衛生。ハエを媒体にコレラや赤痢など貧困に輪をかける病気が蔓延していた。その不衛生なトイレをきれいにしようビジネスだ。トイレがきれいになれば病気も減り、働く意欲も生まれると考えたのだ。 京都府立大学大学院の石井農学博士の協力を得、アフリカの原材料で安く作れる「消臭浄化剤」を現地で生産。ルワンダ政府を巻き込んだ一大公衆衛生事業に密着する!
「消臭浄化剤」で日本の・・・三陸の・・・ふるさとを救う!
アフリカで半世紀を過ごしてきた佐藤。 彼の生まれ故郷は東日本大震災で被災した宮城県南三陸町だ。 ルワンダで一報を聞いた佐藤は、日本行きを決意。 アフリカの大地で実践を始めた公衆衛生事業で故郷に貢献したいと思い立ったのだ。 壊滅的打撃を受けた故郷で佐藤が見たものとは・・・
「人生の可能性は無限大だ!」
佐藤芳之の生き方に共感する若者は後を絶たない。 佐藤の教えを学び、ケニアで働く男性・・・ルワンダでトイレビジネスを支える女性・・・そして、出身校である東京外語大では佐藤の下に飛び込もうとする学生たちがいた。 チャレンジすることに年齢は関係ない。その気になればなんだってできる。経営者としてだけでなく、人間としてどう生きたらいいのか。物や情報が溢れ、日本人が忘れてしまったチャレンジ精神を佐藤氏の挑戦を通して考える。
ゲストプロフィール
佐藤 芳之
- 1939年宮城県南三陸町(旧志津川)生まれ
- 1963年東京外国語大学卒業
ガーナ留学 - 1966年ケニア・東レ・ミルズ入社
- 1974年ケニア・ナッツ・カンパニー設立
- 2008年オーガニック・ソリューションズ・ルワンダ設立
企業プロフィール
- 社 名:ケニア・ナッツ・カンパニー
- 所在地:ケニア・ナイロビ
- 設 立:1974年
- 売上高:約30億円
- 業 種:ナッツ・コーヒー・紅茶・ワインの生産販売
- 従業員数:4000人(契約農民10万人)
- 輸出先:日本、アメリカ、ドイツ、イギリス
村上龍の
編集
後記
アフリカを訪れると、初めての人でも不思議な懐かしさを感じる。人類が誕生した大地であり、時間がゆっくりと流れているからだ。夢は寝ているときに見ればいい、大事なのは目的と目標だ、佐藤さんは明言した。その言葉を脇で聞いたのは初めてだった。いつもは私が誰かに発する言葉だ。佐藤さんは、母なる大地で、現地の人々と喜びを共有する、何と幸福な人生なのだろう。
















