忠臣蔵豆知識

中級

元禄15年12月14日に赤穂義士四十七士は吉良邸に討入りましたが、この中で、大石という姓の人物は何人いたでしょうか。
  • 1.1人
  • 2.2人
  • 3.3人

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3.3人
討ち入った47人の内、大石姓の人物は、大石内蔵助、その嫡男の大石主税、それと大石内蔵助と親戚の大石瀬左衛門の3人がいました。
泉岳寺には、主君の浅野内匠頭と切腹した赤穂義士の墓があります。その泉岳寺の宗派は何宗でしょうか。
  • 1.真言宗
  • 2.曹洞宗
  • 3.臨済宗

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2.曹洞宗
泉岳寺は禅宗の一つ曹洞宗で、本山は永平寺です。
赤穂浅野家は浅野内匠頭の松之廊下事件により、改易となりますが、この頃浅野家には家臣は何人いたでしょうか。
  • 1.47名
  • 2.270名くらい
  • 3.308名くらい

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3.308名くらい
現在、赤穂浅野家の分限帳という家臣のリストが残っています。それによれば308名ほどです。これは元禄12,3年頃のリストで、かつこのリストには載っていないが、浅野家の家臣として判っている人物などもあり、308名くらい、という表現にしています。
討ち入った後、赤穂義士は、大名4家に分けられてお預けとなります。元禄16年2月4日には幕府から切腹の沙汰が届き、幕府からの検使役が遣わされ、それぞれの大名屋敷で切腹しました。この時切腹した赤穂義士は何名でしょうか。
  • 1.45名
  • 2.46名
  • 3.47名

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2.46名
討入った赤穂義士は47人ですが、そのうちの1人は、討入り報告のため泉岳寺門前で別れ、関西に遣わされました。切腹したのは46人です。
堀部安兵衛は江戸に出てから、江戸随一といわれた堀内源左衛門道場で剣術を学び、道場の四天王とまで言われた剣術使いでした。そのため知人も大変多かったわけですが、その親友はどなたでしょうか。
  • 1.細井広沢
  • 2.寺井玄溪
  • 3.羽倉斉

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1.細井広沢
細井広沢は、堀部安兵衛とは堀内源左衛門道場で一緒だったこともあり、大変親しく、安兵衛の書いた「堀部安兵衛武庸筆記」は細井広沢に託されています。寺井玄溪はこの時81才の高齢で、藩医でした。また、羽倉斉は後の国学者荷田春満です。
本所吉良邸に討ち入った赤穂義士は47名ですが、1人生き延びた方がいます。どなたでしょうか。
  • 1.矢頭右衛門七
  • 2.大石主税
  • 3.寺坂吉右衛門

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3.寺坂吉右衛門
討入った赤穂義士は47人ですが、寺坂吉右衛門1人は、討入り報告のため泉岳寺門前で別れ、関西に遣わされます。その後、吉田忠左衛門の家族でもある伊藤家に仕え、さらに山内家にも仕え、延享4年に亡くなりました。83才の長寿を全うしました。切腹したのは46人です。
元禄15年12月14日赤穂義士は討入りましたが、泉岳寺に引揚げる途中で、ある方の屋敷に吉田忠左衛門と冨森助右衛門を使わし自訴しました。そこはどなたの屋敷だったでしょうか。
  • 1.細川越中守
  • 2.仙石伯耆守
  • 3.土屋主税

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2.仙石伯耆守
仙石伯耆守はこの時、大目付という幕府の役職にあり、吉田忠左衛門と冨森助右衛門の2人は、この大目付のところに自訴しました。細川越中守は大石内蔵助らが討入り後預けられた大名、土屋主税は討入りのあった吉良邸の隣の家です。

[問題作成] 財団法人 中央義士会 理事長・中島康夫