忠臣蔵豆知識

初級

赤穂浅野家は元禄14年4月19日に、居城の赤穂城を明け渡し、領地は幕府に没収されました。この赤穂浅野家の居城と領地は、現在では何県になるでしょうか。
  • 1.兵庫県
  • 2.茨城県
  • 3.広島県

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1.兵庫県
赤穂浅野家の領地は、現在の赤穂市と加東市、加西市、相生市の一部にあり、兵庫県になります。
元禄7年に伊予西条の松平家家臣菅野六郎左衛門は村上庄左衛門から果たし合いを申し込まれ、高田馬場において決闘をすることになりました。この時、菅野六郎左衛門と叔父甥の約束をした人物は、六郎左衛門を助太刀しました。その叔父甥の約束をし助太刀をした赤穂義士はどなたでしょうか。
  • 1.大石内蔵助
  • 2.堀部安兵衛
  • 3.武林唯七

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2.堀部安兵衛
菅野六郎左衛門と叔父甥の約束をした人物は、堀部(当時は中山)安兵衛です。この高田馬場の決闘で、一躍江戸のスーパースターになった安兵衛は、赤穂浅野家元江戸留守居役に見込まれ、浅野家の馬回り役200石に抜擢されていきます。そして、後の吉良邸討入り事件へと引き込まれていきます。人生に二度も激しい仇討ちをしたことになります。
元禄15年12月14日に赤穂義士は、吉良上野介の屋敷に討入りました。
その吉良邸跡は、現在どこの区にあるでしょうか。
  • 1.港区
  • 2.江東区
  • 3.墨田区

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3.墨田区
吉良上野介の屋敷は、元禄14年3月14日の松之廊下事件の時は、呉服橋にありました。現在の東京駅八重洲口北口の辺りです。その後、本所回向院近くの、松平登之助の屋敷に移されました。元禄15年12月14日の討入りの時は、この本所に家があったわけです。今の両国回向院の東側で、墨田区になります。
元禄15年12月14日に赤穂義士は吉良邸に討入りました。
この時に討ち入った赤穂義士の人数は何人いたでしょうか。
  • 1.46人
  • 2.47人
  • 3.48人

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2.47人
浅野家308名の内、江戸に入ったのはおよそ60名でしたが、その後13名もの方が脱盟しています。その本当の理由は、内蔵助が持っていた金にしがみついていたのが実態でした。この時代は簡単にアルバイトなどがありませんので、食べる手段がありませんでした。それでも、殿の無念を晴らそうとしたのが47人だったのです。
赤穂義士は本所吉良邸に討入った後、ある場所に引き揚げ、幕府の裁定を待ちました。どこへ引き揚げたでしょうか。
  • 1.泉岳寺
  • 2.増上寺
  • 3.元の赤穂浅野家上屋敷

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1.泉岳寺
赤穂義士は吉良邸近くの回向院で、吉良家や上杉家の追っ手を待って、一戦し、そこで討死にするつもりでした。しかし、吉良家や上杉家の追っ手が来ないため、主君の墓がある泉岳寺へ行き、そこで吉良上野介の首を供え、亡き浅野内匠頭に本懐を遂げたことを報告しました。
江戸城において松之廊下事件が起こり、その後、本所吉良邸において討入りが行われました。これらは江戸時代の年号で元禄に起こっており、この一連の事件を元禄事件といます。この元禄事件が起きた時はどなたが将軍だったでしょうか。
  • 1.3代家光
  • 2.5代綱吉
  • 3.8代吉宗

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2.5代綱吉
元禄時代をはさみ、延宝8年から宝永6年まで5代将軍綱吉の治世でした。
元禄事件を題材にした歌舞伎は事件直後から沢山作られてきました。中でも仮名手本忠臣蔵は、江戸時代から現代まで大変ヒットし、3大歌舞伎の一つにも数えられています。この歌舞伎の中で、大石内蔵助役も出ていますが、役名はなんという名前になっているでしょうか。
  • 1.大星由良助
  • 2.垣見五郎兵衛
  • 3.池田久右衛門

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1.大星由良助
大石内蔵助をもじった、大星由良助という名前です。この役は、当代一の役者が演じることになっています。池田久右衛門は内蔵助が京都にいたとき、垣見五郎兵衛は内蔵助が江戸へ出て討ち入るまで実際に使っていた変名です。

[問題作成] 財団法人 中央義士会 理事長・中島康夫