インドサッカー 遊佐克美、スター生活から一転、コロナ禍で崖っぷちに...それでも「サッカー選手でいたい」理由とは

サッカー

2020.7.11

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そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない

インド。かつてはカルカッタと呼ばれていた町、コルカタ。

三年前、ここには一人の日本人スターがいた。

遊佐克美、当時29歳。

サッカー選手としての確かな地位をここインドで築いた。その証拠に密着取材初日、まさか我々が現地メディアに逆取材されるとは。

この時インドリーグは開幕直前。スター選手の動向を逃すまいと、インドメディアも必死だった。その夜、人気ニュース番組では、開幕への意気込みを語る遊佐の姿が大々的に放送された。

インドに渡ったのは22歳。足場を固めるのに3年かかった。27歳で日本在住の綾子さんと結婚。インドへ単身赴任を続け2年後に長女のここなちゃんを授かった。

同じ年、名門イーストベンガルに移籍し、エースの証、背番号10を背負う。

インドでのスター生活

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まずは、インドのスター選手の暮らしぶりをご覧いただこう。

郊外の高級マンションと移動車はクラブが用意してくれた。間取りは3LDKで、インドに来た直後の数十倍もの広さがある。29歳、男の単身赴任には十分すぎる広さ。家政婦は雇わず家事は全て自分でこなしている。

車の運転は専属運転手を自腹で雇っていて月1万7千円ほどだという。

この日の昼食はカレー。さすが本場、と思いきや使うのは日本製のカレールー。2日に一度は食べる理由は、肉と野菜を同時に取れる上に失敗しないから合理的だという。

息抜きは家族とのテレビ電話。生後三ヶ月になる娘が疲れを癒してくれる。

欠かせない癒しがもうひとつ。1日の終わりには必ず、外資系高級ホテルのジャグジーに入る。

半年12万円の契約。これは現地の物価を考えたら立派なセレブ生活といえる。

ピッチでのパフォーマンスを維持するため、今は極力、ルーティン化した生活をしている。

そのプロ意識を若い頃に持っていたら、インドには来ていなかったかもしれない。

日本代表からJリーグへ。しかし歯車が狂い出す...

実家は福島。子供の頃からサッカーの才能はピカイチで、地元では早くからずば抜けた存在だったという。東北に知れ渡った天才少年。

当時の評価は同世代の香川や乾をも凌ぎ、高校進学時にはプロの争奪戦が繰り広げられるほどだった。

数ある誘いの中から、サンフレッチェ広島のユースへ。代表でも活躍する槙野や柏木とプレーし日本一も経験した。

18歳以下の日本代表にも選ばれ、そうそうたるメンバーをさしおいてキャプテンを任されている。

Jリーグでの活躍もフル代表入りも時間の問題と思われた。

しかし、そこで歯車は狂ってしまう。

地に足つかず、浮かれていた。自信が過信になり慢心を生んでいた。

Jリーグを3年でクビになり転げ落ちるように下部組織へ。

さらに、ほぼ無給でパラグアイの二部リーグにも挑んだが、わずか1年で帰国した。

【動画】インドサッカー 遊佐克美、崖っぷちに立たされた男の挑戦に密着

単身インドへ。そして転機が訪れる...

どん底状態の遊佐はインドから誘いを受け、インドへと単身渡る。そこで元天才少年を待っていたのは、逃げ出したくなるほど厳しい生活環境だった。

コルカタの安宿街。エアコンも洗濯機もない一室でチームメイトとの相部屋。雨季になるとベッドはベタベタになった。当時の朝食は毎日50円のパン。

インドを見下し、他人を見下し、だから信頼されず、愛されも活躍もできなかった日々。

しかし転機は訪れる。

少ない年俸の穴埋めに、オフは福島に戻り、結婚式場で働いていた。そこで遊佐に気づき「遊佐さんですよね?」と声をかけてくれた人に「違います」と答えてしまった。

自分を否定してしまった自分。この出来事で遊佐は踏ん切りがついた。

現実を受け入れ、インドを見下す気持ちも捨てた。

24歳だった。

仲間との信頼が生まれると自然とパスが来るようになった。その後はインド有数のビッグクラブに移籍。

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結婚して娘を授かるとやる気も増した。

活躍は続き、年俸は手取りで二千万円にまで上がる。

インドに来て良かった。変わったのは舞台ではなく自分なんだと心から思う。

今年6月、遊佐は福島県の高校にいた

だが人生はままならない。

今年6月、遊佐克美の近況を追うと福島県の高校サッカー部にたどり着いた。中学時代の知り合いが監督を務める尚志高校だ。

髪は黒く染め直していた。

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事情を聴くと3月22日に帰国したのだという。

帰国の理由はインドで感染拡大が続く新型コロナウイルスだった。試合も練習もできなくなりチームは解散。給料まで払われなくなりやむなくインドを離れたという。

事実上の契約破談。

生活の糧を失い、この高校で練習しながら所属先を探しているのだそう。

家族のためにもうしばらくの間「サッカー選手でいたい」

心の支えは家に待つ家族。インド時代、寂しさをまぎらせてくれた愛娘ここなちゃんはもうすぐ3歳になる。

この5月には次女も授かり「こはる」と名付けた。

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とがっていたのに弱かったあの頃とはもう違う。サッカー選手という仕事の厳しさは、身を持って味わってきた。

もう31歳、残された時間が多くないことはわかっている。

それでも家族のためにもうしばらくの間、サッカー選手でいたい。

男は弱いが父は強い。

苦しみを知る父は、もっと強い。