高原直泰の現在 コーヒー農園とサッカークラブを経営「サッカーで地域をつなぐ」

サッカー

2021.1.28


そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない

日の丸を背負い、海外でも名を馳せた男の現在。

朝7時、愛車の業務用ワンボックスカーを自分で運転し、練習道具を積み下す。これが日常。高原直泰が沖縄に移り住んでもう5年になる。離婚も経験、一人暮らしの41歳。黄金世代と呼ばれ、稲本潤一、小野伸二らと共に日本代表を牽引した。

23歳の時、ドイツ・ブンデスリーガの名門クラブに移籍。世界最高峰の舞台で日本人最多得点記録を更新するなど、日本人選手の市場価値を高めた。

そして今も現役。ここ沖縄で、J1から数えて5部に当たるチーム「沖縄エスファウ」に所属している。自ら立ち上げ、育ててきたクラブ。選手とオーナー、二足のわらじを履いている。

スポンサーへの応対や選手のスカウトも仕事。せわしく飛び回る日々にはどんな野望と希望があるのか。



歩んできたサッカー人生

高原のクラブにはまだホームスタジアムも専用練習場もない。沖縄全土の市営グラウンドの中から、予約が取れた所がその日の練習場所になる。選手は30人。プロ契約は8人ほどで、残りの選手は働きながら続けている。

創設5年目の現在、ピラミッドの5段目、地域リーグに属している。年に一度の昇格戦に勝ってまずはJFLに上がり、最終的にはJ1で勝負したい。

そもそも沖縄は、サッカーが盛んではない土地柄。それを承知でなぜ進むのか?その理由は高原が歩んできたサッカー人生に潜んでいる。

【動画】『高原直泰』沖縄からJリーグへの挑戦 すべてを捨て奮闘する稀代のストライカーに密着

18歳でジュビロ磐田へ。するとその年、20試合で5得点。内気だったサッカー少年は一躍スターになる。

21歳で出場したシドニーオリンピックでは、不動のフォワードとして日本を32年ぶりの決勝トーナメントに導いた。その2年後にはJ1優勝。最年少得点王に輝き、MVPのタイトルも手中にする。

その後、アルゼンチンを経てドイツへ。6年間プレーし、5年目にはシーズン15得点を記録し"スシボンバー"の異名を得た。

満ち足りたように見えるサッカー人生。だが本人には「自分からしたら苦い思い出」がある。2002年の日韓ワールドカップ、トルシエジャパンの得点源だった高原は、エコノミー症候群を発症し、代表から落選する。

4年後、雪辱を期したドイツワールドカップ。しかし、屈辱再び。無得点のままグループリーグ敗退となる。

栄光も悔しさも味わった生き様の延長線上にあったのが沖縄でのクラブ創設だった。沖縄はいわばサッカー不毛の地。だからこそやりがいがある。

私財を投げ打った挑戦を無謀と受け取る冷ややかな視線もあった。当時、36歳の高原はJ3にいたが、出場機会は目に見えて減っていた。サッカー選手は永遠にはできないのだと、改めて思い知らされた時期だった。



前代未聞のコーヒー農園の誕生

そんな折、培ってきた挑戦哲学が大きな縁を引き寄せる。沖縄の地域振興と産業発展につながるようなサッカークラブを作って欲しいと依頼されたのだ。哲学とビジョンが重なる、願ってもない話だった。

練習のない日、高原は自宅から車で2時間かけて、北部の村に出向いた。ここには高原のクラブが営んでいるコーヒー農園がある。ゆくゆくは栽培したコーヒー豆を売ってクラブの収益にしたいという。

沖縄では放棄された畑、耕作放棄地が年々増えており農家の後継者不足とともに問題になっている。

そこで高原はジュビロ時代のスポンサーで、世界中に契約農園を持ち農家への技術指導をしているネスレに協力を仰いだ。その結果、サッカークラブが営む前代未聞のコーヒー農園は完成した。

サッカーで地域をつなぐ。描くビジョンはクラブの名前に込められている。ドイツ語のスポーツクラブ、その頭文字を合わせてエスファウと名付けた。

選手が地域に貢献すれば住民たちはファンになって試合会場に来てくれる。応援されれば選手はがんばりもっと地元を好きになる。狙うのはそうした好循環。

もう他の土地に移り住むつもりはない。持っていた高級車も売り払い、ここ沖縄に骨をうずめると決めた。

たとえ選手をやめてもサッカーという「仕事」は残る。それが心の励み。

サッカーが教えてくれたこと

目指してきた年に一度の大会が来た。全国地域サッカーチャンピオンズリーグ。

9つのエリアを勝ち抜いた12チームが集まり、上位2チームがJFLに昇格できる。沖縄エスファウは九州リーグの代表として出場した。予選リーグは4チームの総当り、1位になると決勝ラウンドに進める。

誰よりも燃えたのが高原だった。41歳の背番号10が豪快なダイビングヘッド見せ、勢いづいたチームは3対1で勝利する。

悲願のJFL昇格へ、一歩前進。しかし2戦目は高原がゴールをあげるも引き分けに終わる。次の試合が昇格への山場となった。

高原直泰率いる沖縄エスファウが迎えた昇格への正念場。もし負ければ今回の昇格は夢と消える。だが開始5分、あっという間に先制ゴールを許してしまう。

ここぞという時に勝つ。それが本当の強さなら、創設5年目のチームにはまだまだ修羅場の経験が足りなかった。沖縄エスファウは敗れJFL昇格はまたもお預けとなった。

ただこれで終わりになったわけではない。高原は42歳になる今年も現役として走り続けると決めた。目標は揺るがず、まずはJFL昇格。

いつの日かJ1に上がりたい。難しいけれど、それが楽しい。挑戦こそが人生だとサッカーが教えてくれた。