スポーツクライミング・野中生萌 すべては東京五輪で勝つために

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2021.7.16


野中生萌 Photo by Marco Kost/Getty Images

そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない

小学生のときは吹奏楽部、中学ではクラシックバレエにいそしんだ。その彼女が今、東京オリンピックの金メダル候補に挙げられている。

スポーツクライミングとの出会いが野中生萌を変えた。

体のやわらかさはバレエをしていたおかげ。あの忍者のような動きは人並み外れた筋力と柔軟性から生まれている。

「終わりがないことが楽しい」

ユーチューバーデビューの理由

だからもっとこの競技を広めたい。そこで去年7月にユーチューバーデビューを果たした。

根は人見知り。そう打ち明けると、大概の人に驚かれる。本当は弱い自分。だからこそ強さに憧れる。最強という言葉を自分の物にしたい。

【動画】スポーツクライミング・野中生萌 オリンピック最終予選の舞台裏/Humanウォッチャー

スポーツクライミングの発祥は第二次大戦後の旧ソ連と言われる。岩場を登る速さを競い合い、それがもとになった。現在の競技人口は世界に3500万人。

オリンピック効果で日本の競技人口はうなぎのぼり。次のパリオリンピックでも実施が決まっており、24歳の野中にかかる期待は大きい。

力強さとしなやかさと。その動きは時に優美にさえ見える。だがその陰には自称ガチトレという地味できついトレーニングがある。

このトレーニング風景をYouTubeに載せたところ再生回数は16万回を超えた。



東京オリンピックで勝つために

9歳で出た初めての大会。わずか数秒で落下した悔しさが始まりだった。今よりもずっとマイナーだった競技。探し当てたジムに週3で通い練習に励んだ。

いくつもの壁を越えたその先に東京オリンピックは待っていた。

朗報と同じ年、成績も飛躍。ワールドカップ初優勝、世界ランクも2位に上がった。

近づく大舞台へ、英断も下した。他人に頼らず我流で鍛える選手が多いクライミングにあって、異例と言える外部コーチを雇った。宮澤コーチは、ルートと呼ばれるクライミングの課題作りの専門家。選手とは違う立場の視点を持っている。

野中はそうした新しいものの見方に伸びしろを求めたのだ。

すべては東京オリンピックで勝つために。



思わぬ形で届いた吉報

ところが東京オリンピックへの最大のピンチはその翌年に訪れる。

おととし8月、オリンピックの代表選考を兼ねた日本での世界選手権。代表枠は二つ。ここで優勝すれば代表に内定し、逃せば、別の大会に残る一枠が持ち越される。

野中は大会中に左肩を痛め、激痛を抱えたまま予選に臨む。満足に腕が使えない状態。宮澤コーチは悪化させて最悪のケースになることを危惧していた。棄権する道もあったが宮澤は本人の意思を尊重する。

二日後の決勝。決勝進出者8名のうち日本勢は4人。その中でトップに立てばオリンピックが決まる。中一日置いたことで、肩は休められた。

最後は力尽きたが攻める勇気と捨てる勇気で激戦を戦い抜いた。日本人トップは野口啓代。野中は2番手を死守した。

すると昨年末、思わぬ形で吉報が届く。国際連盟が選考基準を見直し、世界選手権の日本勢2位までを代表とすると発表したのだ。

強くなったチャキチャキ娘に迷いはない。

目の前にそびえる頂をきっとその手でつかんでみせる。


野中生萌 Photo by Andy Bao_Getty Images