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独創性に富んだ着想とシャープな映像、そして精密な心理描写で最後まで一瞬たりともそのテンションを緩めることのない緊密なドラマ。『キング・イズ・アライヴ』は2000年カンヌ映画祭で“ある視点”部門に出品され、人々の熱狂的な支持を獲得した。そのときカンヌのコンペティション部門ではプロデューサーを同じくするラース・フォン・トリアー監督の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』がパルムドールに輝き、北欧からやって来た潮流は、映像新世紀の幕開けを告げる予感のように思われた。気鋭の新人監督が放つこの問題作は砂漠の“キューブ”か、はたまた“蝿の王”か、それとも“地獄の黙示録”か? 極限状態の中のサバイバル、敵は自分自身の感情。これは、生を賭けた究極のサバイバル・サスペンスである。

本作の重要なモティーフとなっているのは、シェイクスピアの四大悲劇の中でも最も苛酷といわれる戯曲「リア王」。19世紀まではあまりにも悲惨なラストのために敬遠されてきたが、20世紀に入るや、その独特の不条理性から、時代を映す鏡であり最も現代的な戯曲と評価され、“20世紀は「リア王」の時代”といわれるほどの脚光を浴びている。
圧倒的な虚無の中、ひとり、またひとりと、いつ終わるともしれぬリハーサルに集まってくる乗客たち。彼らが生きる希望を見失わないためにすがりついたのは、最も悲劇的で救いのない「リア王」だった。リア王は狂気のまま荒野を彷徨ったあげく、絶望のために死んでいく。次第に感情を剥き出しにし人間の本能をさらけ出していく乗客たち。彼らは正気で生還することができるのだろうか。

監督のクリスチャン・レヴリングは、ドキュメンタリー映画やBMW、ボルボ、カールスバーグ等のCMを手がけてきた新鋭。ラース・フォン・トリアー監督らとともに“ドグマ95”を提唱し、本作はそのドグマ・シリーズ第4弾となる。セットは使わず全てロケ撮影、劇中の音楽以外にBGMはつけない、人為的な照明は禁止、カメラは手持ちによること等々、過度にテクノロジーに依存した現代の映画作りに対するアンチテーゼ的な戒律のもとに生み出された本作だが、大胆な設定とその物語性で、これまでのドグマ作品の概念を超えている。
撮影はハンディタイプのデジタルカメラ。最高3台を駆使して撮ったものを35mmにアップしている。広大な砂漠のどこまでも青く抜ける空、強烈な光と影、闇に明滅する炎。絵画のような深い質感やシャープでソリッドな表現、一転してフォーカスをずらしたイメージショットなど、デジカメひとつで大自然の様々な表情を見せる。バックには風と砂の音のみ。余計なものをぎりぎりまでそぎ落としたシンプルなスタイルが、その禁欲さゆえに想像力を奮い立たせ、新しい映像体験となって私たちの前に現れる。映像表現の新しい地平へ我々を誘う意欲作である。

砂漠を舞台にシェイクスピアを演じる面々には、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカから、ひとくせもふたくせもある俳優たちが集まった。乗客たちを「リア王」の世界に引き込んでいくヘンリーに実際シェイクスピアの舞台で有名なデイヴィッド・ブラッドリー。プライドが高いばかりで根暗なカトリーヌに『ミナ』『野生の夜に』のロマーヌ・ボーランジェ。あばずれなヤンキー娘だが純粋に芝居にのめり込んでいく<コーディーリア>ジーナに『未来は今』『ショート・カッツ』のジェニファー・ジェイソン・リー。傷んだにんじんの缶詰にあたって倒れる<リア王>アシュレイに『フィフス・エレメント』『ブレードランナー』の名悪役ブライオン・ジェイムズ。この撮影終了後間もなく亡くなった彼に、本作は捧げられている。乗客を間違った方向へ導いてしまうバスの運転手、<エドマンド>モーゼスに『アフリカン・ダンク』のヴジ・クネネ。不甲斐ない夫に当てつけるようにモーゼスを誘惑する<ゴルネリ>リズに“Tumbleweeds”で2000年アカデミー賞主演女優賞ノミネートのジャネット・マクティア。リズとの愛に自信を無くしている夫<ケント>レイにブルース・デイヴィソン。次第に子供っぽさが露呈されていく<エドガー>ポールにクリス・ウォーカー。ポールの父親で他人をシニカルに見下す<グロスター>チャールズに『フェアリー・テイル』のデイヴィッド・カルダー。ポールの妻で実は芯の強い<道化>アマンダに『ファイアーライト』のリア・ウィリアムズ。砂漠で生き残るルールを説くジャックに『遠い夜明け』のマイルズ・アンダーソン。そして、この物語の語りべでもあるゴースト・タウンの主、不思議な老人カナナに南アフリカではミュージシャンとしても名高いピーター・クベカ。
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