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監督 クリスチャン・レヴリング)今日はお集まりいただきまして有難うございます。皆さんが私の映画を気に入ってくださると嬉しいです。
プロデューサー ヴィベケ・ウィンデロフ)今日はこのような形で東京に来れること、TIFFのコンペに出品できることは大変喜ばしいことです。本作はカンヌの方でも大成功を収めております。
−作品へのメッセージをお願いします。
監督)メッセージは“サバイバル”=“生き残る”ということです。肉体的というより、精神的にサバイバルする。特に、日ごろ忘れがちな言葉の大切さに注目してもらいたいと思います。
プロデューサー)監督のアイデア、メッセージを映画にするのを援助する、背後から作品を助けるというのが私の役割です。支援する可能性を、現実化することが出来て嬉しいです。
−撮影はどのくらいかかったのですか?
女優 ジャネット・マクティア)撮影は6週間かかりました。見た目ほどハードではなかったですが、風がものすごく強かったのは大変でした。しかし私にとっては冒険に満ちた楽しい撮影、経験でした。脚本がしっかりしていて魅力的でした。脚本を書いたクリスチャンはもちろん、素晴らしい人々と仕事ができたことは大変有意義で楽しみながら撮影をしました。シーンの中には強烈なシーンもあったので、難しいところはありましたが。
−ジャネットさんは映画の中よりもとても美しいのでびっくりしました。映画の中では、比較的ロマーヌ・ボーランジェが日本では有名な女優さんなのですが、彼女との共演はどうですか?
女優)彼女と二人だけのシーンというのは最初(そこは乗客が皆パニックを起こすシーン)以外ありませんでした。言語的にも彼女はフランス語で私はフランス語ができませんし、二人の間のコネクションを作るのは努力しなければなりませんでした。しかし彼女の、かわいらしい綺麗な顔ですが、なによりも美しく強烈な瞳が印象的です。言語的な障壁はありましたが、その強い瞳を通して彼女と分かり合おうとしました。大変興味深い経験でした。
−夜のシーンはあまり照明もあまり使えず大変だと思うのですが。
監督)夜のシーンは皆さんが想像されるほどは難しくありませんでした。選んだロケーションにおいては、廃屋の電球をそのまま利用できましたし、デジタルビデオで撮影しきたのでそれほど多くの光量は必要としませんでした。このような形の撮影をすることによって、よりリアルな表現が出来たと思うので刺激的な経験となりました。
−映画の中のような極限状態において、皆赤裸々な感情がさらけ出されているわけですが、撮影現場においてはいかがでしたか?
監督)それぞれのキャラクターの魂の赤裸々な部分、これをうまく映像を通して表現できれば、というのが私の願いでした。口では「できました!」というのは簡単ですが、自分ではうまくお答えできません。皆さんに映像を通して、そういった感情が伝わっていれば成功だと思います。
映画というのは“嘘”“虚構”の世界です。ドグマというスタイルはこういった虚構の世界を語るには適したもの、嘘が本当であるように見せてくれるスタイルだと思います。撮影は皆さんがやりやすい場所でしたが、本当にこういう場所がありそうだ、とおもってもらえそうな場所を選びました。ヨーロッパの夏、アフリカで18〜25度くらいの状況です。
−ドグマのルールを変える権利があるとしたら、もしくは削除・追加したいと思うルールなどがありますか?ジャネットさんと役作りにおいて話し合ったことはありますか?
監督)ドグマのルールは誤解されがちだと思います。それらはいずれも難しいルールばかりで、監督として極限状態に追い込まれると思います。「あれもやりたい、これもやりたい」という禁断症状の中で映画を作っていくのですが、逆にそれを通してよりシンプルに映画と接することができ、満足感の得られる結果も多いです。実際に撮影に入ってしまうと、このルールがいいとか悪いとかと考えている余裕はありません。ただ、この作品のためにはひとつだけルールを付け加えました。それはシーンの1からラストのシーンまで時系列に沿って撮っていくということです。この作品にはこの新ルールが適していると感じたからです。実際に撮影が終わり、編集段階では、同じシーンを複数のカメラで撮影しているのですが、リアルな正確な映像、大きな印象をあたえる映像にしたいと思ってましたので、できるだけ同じテークの撮影を選ぶようにしました。
ジャネットも非常に忠実に与えられた役割を演じてくれました。役柄の中の彼女というのは、人生に傷つき、ダメージを負って暮らしていました。そこで、ジャネットとも相談して、こういう女性はあまり美しくしていないだろうという結論になりました。そこで、敢えて彼女にあまり美しく見えないように演じてもらいました。彼女はそういう演技も出来る素晴らしい才能の女優だと思います。
−演出に宗教的な意味合いは含まれていますか?監督がもしも映画のような状況に陥ってしまったとしたら、何を一番大切にしますか? 何を演じられると思いますか?
監督)非常に主観的な答えになりますが、文化と宗教というのは各国それぞれの歴史があります。私の国デンマークでは、宗教は現在においては過去ほど重要視されていません。もちろん魂の一部としては残っているはずですが。もしもデンマークで「あなたは神を信じますか」と問われたら都部の人しかイエスと答えないでしょう。おそらくアメリカでしたら90%近くになるのではないでしょうか?個人的には、宗教色というのはあまりこの映画に取り込もうとは思っていません。それよりも芸術のたいせつさを盛り込みたかった。特に現代のような大量消費社会においては物をじっくり考えるというようなスペースとか機会を、人々が忘れがちだと思います。今回作品中では、ひとびと
は「リア王」を演じはじめます。演劇を通して乗客はいろいろなこと考えるのですね。こういった作品の中の人々が、リア王を通して、ゆっくりと物を考える機会が与えられたのです。
私がもしもこういった極限状況に置かれたとしたら、というご質問に対してですが、ヨーロッパでは大戦中の強制収容所の生き残りの方がいるわけですが、彼らは何らかの言葉の大切さを認識し実行した人だと思います。ちょっとした挨拶なども含め、言葉の大切さ、人間の尊厳というものを収容所のなかでも維持していた人が生き残ることが出来たのではないかと思います。ですから、極限状態の中ではもちろん水は大切です。しかし文化というもの、文化という言葉はちょっと概念として幅が広すぎるかもしれませんが、物語、あるいは神話というものがより大切で、正気を失わずにいれるのだと思います。
−シェイクスピアを演じるということにはカルチャーショックもあると思うのですが。今回の作中でもアフリカ人がひとり参加していますね。
監督)今回の映画の中でやりたかったことは、複数の異なったレベルでのストーリーテリングを描くこと、物語を進行させていくことでした。今でもアフリカの村などに行くと、町の真ん中へ広場があって、そこに語りべがいるという光景に出くわします。皆語りべは同じ話をしているはずなのですが、人それぞれで違ってきているのは興味深いと思います。今回のカナナという存在は、語りべという存在です。しかしカナナは乗客が話している言葉は理解できないし、リア王も理解できない。しかし彼なりに語るのです。彼の存在はギリシャ悲劇の中の“ホールス”の役割とも思えます。物事の証人という立場でもあります。映画全体の語りべの役割を果たしているのです。私は、アフリカの人に向けてこの映画を作ったわけではなく、私と似たようなバッググラウンドを持つ人々に向けて作りました。
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