|

「知り合いにモハーヴェ砂漠に住んでいるイギリス人がいて、彼が食堂のチャックとガソリンスタンドのリズと一緒に、シェイクスピアの夕べを企画した。最初は彼のドキュメンタリーを撮りたいと思ったが、後からこれはドグマの企画にいいかもしれないな、と思った」と監督のクリスチャン・レヴリングは、本作のきっかけについてこう語る。
レヴリングは、ラース・フォン・トリアー、トマス・ヴィンターベア、ソーレン・クラウ・ヤコブセンらと立ち上げた、ドグマ95の結成メンバーの一員である。ドグマ95とは、1995年3月に先述のデンマーク映画界の4監督がコペンハーゲンにて、今日の映画に逆らう“ある視点”を目標として掲げ、立ち上げたものである。その姿勢は、“純潔の誓い”として知られる議論の余地のない一連のルールに集結されている。レヴリングはこう説明する。「ドグマは10のルールを決めている。それは現代の中味のない映画製作の皮をすべてはぎ取るもので、物語作りの真髄に立ち返ろうというものだ」。ドグマからはこれまで、ラース・フォン・トリアー監督作『イディオッツ』、トマス・ヴィンターベア監督・脚本作『セレブレーション』(98)、ソーレン・クラウ・ヤコブセン監督作『ミフネ』の3作品が誕生している。
レヴリングが今回の脚本を共同執筆したアンダース・トマス・イェンセンは、これまで“Election Night”(98)でアカデミー賞短編賞を受賞し、“Ernst
og Lyset”(96)、“Wolfgang”(97)でともにアカデミー賞にノミネートされた、デンマーク期待の若手脚本家である。
本作は、ただシェイクスピアの舞台を映画化したものではないし、実際に芝居をするというのも筋違いな話である。しかし、『リア王』を選んだことには意味があったようだ。「『リア王』は、間違いなく秀逸な家族ドラマだ。しかも、なす術のない極致、絶望、だましと裏切りの愛憎を命題にした芝居でもある。リア王は私たちに豊かな人間の機微を示してくれる」
南アフリカに旅行会社を持つ長年来の友人が、レヴリングにナミビアのコルマンスコップにある1920年代に廃鉱になったダイヤモンド鉱山の町の写真を見せた。それが本作の格好の舞台となった。当初はアメリカやメキシコの砂漠の方が撮影には向いているかと思われたが、最終的には独特なコルマンスコップが一番インスピレーションを受ける場所だということになった。「私はアフリカで撮影することにした。あれほど広大な大陸には、神秘的な雰囲気が満ちている」とレヴリングは語る。
撮影は1999年の6月〜7月にかけて、出演者それぞれに1日〜3日の事前リハーサルを行いながら、6週間以上に及んで行われた。レヴリングは、ドラマティックな展開を強めるため、そして各俳優の演技が生み出す物語の流れに微調整していくため、時系列に撮影していった。レヴリングはこう語る。「撮影中には各シーンを幾度となく即興で演じてもらい、それをカメラに納めた。そこから実際に採用したテイクもいくつかある。そんなことをしたのも、自分の役は何者で、どこにいて、どういう風な状態か、顕微鏡で魂の中まで探るようにそれぞれの役の輪郭をはっきりさせてほしいという狙いからだ。それによってある種の緊張感も生まれるし、役が生きてくるので、とても重要なことだった」
出演者は最初からこの企画に乗り気だった。モーゼスを演じる南アフリカのヴジ・クネネは、「物語自体が『リア王』の話に絡んだ展開と、砂漠で立ち往生する人々の話、そしてそれが平行して展開するところに惹きつけられた」と語る。
出演者の誰もこれまでドグマ作品に出演した経験がなく、そのことへの期待にも胸が膨らんでいた。クネネは「あのルールは馬鹿げているように聞こえるが、いったんそれに従って仕事を始めると、非常に興味深く挑戦的なものであることに気づく」という。チャールズを演じたデイヴィッド・カルダーは、「撮影方法に加え、物語の性質上、ある種の親密さが生まれた。それで俳優たちもうまく機能したし、それぞれの演じる役もいい具合に展開していけた。ほかの仕事では滅多に味わえない体験だった」と語る。
製作のパトリシア・クルージャーは、こうつけ加える。「新しい、前代未踏の方針だからこそ、全力を尽くして取り組んでいる。どの監督も口を揃えて言うだろうけど、ドグマのルールとはあくまで創造力の流れをよくするための制限なのよ」
本作はハンディタイプのデジタルカメラを最高3台まで使って撮影し、その後35mmのフォーマットに移しかえた。このことによって、俳優たちには不慣れな柔軟性が生まれた。クネネの意見は、「俳優の注意力もさることながら、俳優がカメラとの位置や音のことを気にしないで、どれだけ存分に演技させてもらえるか、そのことに驚かされた。すべては俳優である自分についてくる。自分にかかっているんだ」
「自分が納得するまで、何度も何度もビデオテープを回すことになった」と、レイ役のブルース・デイヴィスンは語る。「僕たちは『結果』の視点ではなく、真実味のある視点でこの話を語れるようになった。人間には、時間をかけて、和解するまであれこれ試行錯誤を繰り返す能力がある」
デイヴィスンもほかの共演者と同じく、監督に惚れこんでいる。彼はこう説明する。「私たちをまた違うレベルへ押し上げてくれる監督のその手腕を買っている。監督からそんな機会を与えられたら、それは絶好のチャンスだ。私自身、自分から出てきたものに驚かされることもあった」
映画自体は完全なフィクションであるが、それでもレヴリングは、砂漠のど真ん中でバスが動かなくなってしまったときに起こる出来事を、そのまま伝えたいと願っている。「この架空の場面に、あたかも真実であるかのようなリアリティを添えたかった。私たちの目に映っていることは実際に起こっていることだと信じさせたい」
リズ役のジャネット・マクティアは、こうまとめる。「この作品の核心は、名作と呼ばれる芸術がそうであるように、様々な形の人間性の皮をはぎ取り、それによって登場人物を通して何かを明らかにし、願わくば観客にまで伝えることなのよ」
|