7月12日(月)テレビ東京天王洲スタジオにて『テレビ東京開局40周年記念ドラマ 新幹線をつくった男たち』の製作発表記者会見が行なわれた。

出席者:
松本幸四郎 氏

    (島秀雄/国鉄技師長 役)
三國連太郎 氏
    (十河信二/第4代国鉄総裁 役)
佐々木 彰
    (テレビ東京 統括プロデューサー)

<企画意図/佐々木彰 統括プロデューサー>
 この企画は、2年ほど前にテレビ東京の40周年記念番組企画として集まった400もの 中からドラマとしてただ1つ選ばれた企画です。
 東海道新幹線が開通したのも昭和39年10月1日、ちょうど40年前です。
 巨大プロジェクトの裏側にある人間ドラマを描いているこの新幹線を巡る物語を 40周年記念番組として選びました。

 島秀雄と十河信二、この二人の情熱と努力がなければ新幹線という大事業はなかったということを描きたい。友情、信頼、情熱があってこそ、成し遂げられたのです。二人とも、一度は国鉄を退職した後に復帰しています。島は54歳、十河は71歳での復帰でした。「東京から大阪まで、いままでにないハイウェイを作りたい。夢の新幹線計画をあなたと一緒にやりたい」と十河が島を誘い、事業が始まったのです。

「これからどう生きていこう」と人生の下り坂に入っている現在の50代、60代、70代の方々に、この番組を見て「まだまだ大きなプロジェクトができる」ということを感じてもらいたいです。

 また、二人の家族にもふれます。
 島の父親・安次郎は戦前、東京~上海間の鉄道プロジェクトに携わっていました。そして満州鉄道で一部を実現しています。また島の息子・隆は現在、台湾で新幹線事業を進めています。親子3代で新幹線プロジェクトに携わっているのです。
 7月5日の顔合わせから8月上旬まで、暑い中で撮影は続きます。演出は、TBSで数多くのドラマを手掛けた高橋一郎さん。本読み・リハーサルをきっちり行う、今時珍しい丁寧なつくりとなっています。音楽は渡辺貞夫さん、脚本は矢島正雄さんなど、優れたスタッフでお送りします。
 東宝と日経映像の共同企画、テレビ東京から東宝への制作委託という形で制作をすすめています。よって、製作はテレビ東京と東宝の共同制作となります。



<松本幸四郎/島秀雄 役>
 十河総裁の名前は新聞で見たことがありましたが、島秀雄さんのことはあまり知りませんでした。引き受けるにあたり原作の『新幹線をつくった男・島秀雄物語』を読ませてもらい,D-51や湘南電車をはじめ数多くの名車を設計したこと、また定年を過ぎてから国鉄に復帰したことなどを知り、素晴らしい方でびっくりしました。最近テレビの仕事というと「夢を追う年寄り」役が多く、今回もそういう形でひっぱり出されました。島さんの本を読んで感じたことは、島さんは今の世の中にはなかなかいない人なのではないかということです。世の中には上の人、つまり偉い人はいらっしゃいます、お金を出す人、指揮をする人はたくさんいるし、一方、現場で一生懸命働いている人もいますが、この両者を結ぶ人間が今の日本にはいない。島秀雄という人は現場を良く解って、それを上層部にも伝えられる、上にも下にもいい仕事をさせられる。しかも列車を、国鉄を愛していた人だと思います。島さんとはそういう人だと感じました。今年はこれで3本目のテレビドラマです。今回、尊敬する三國連太郎さんと共演できるのも嬉しいし、そういう意味も含めいいドラマにしたいです。



<三國連太郎/十河信二 役>
 妙な縁と申しますか、私が今回演じる十河信二さんとは以前、映画『大いなる旅路』(戦前、戦後に渡る機関士の話)をやった時に1回か2回会ったことがあります。簡単なものと思って引き受けたのですが、十河さんの意向だと思いますが「盛岡で機関士の修業を3ヶ月しないといけない」と言われ、本当に修業をした思い出があります。また、機関車の墜落事故の場面は普通ではできないと思われるシーンでしたが、やはり十河さんの「本物でないとダメだ」という意見で実際に機関車を落としてもらったことも思い出します。技術者の計画ではカメラの10メートル手前で止まる予定だったのですが、実際は1メートルまで接近して、死ぬ思いをしたことがあります。
 時間とともに十河さんの存在も忘れていましたが、以前「徳川家康」を一緒にやった演出の高橋さんに声をかけて頂きました。あれはもう30年ほど前のことなので、高橋さんはまだ演出なんてできるのかと思っていたら、今の若者が足元にも及ばない精力的な説得にあい、引き受けました。
 また、松本幸四郎さんに関しては、お父様には大変お世話になったのですが、今時こんな行儀のいい人がこの世界に残っているのかと思うほどの人です。私は時間も守らないし、セリフは覚えないし、いいかげんなのですが、行儀のいい松本さんと一緒に仕事をすることでこれからのステップになると思って喜んで引き受けました。
 十河さんは半分は伝説だと思いますが、技術のことは全くわからない人だったそうです。でも、経済や営業のことは非常に精通してらっしゃった。最初、総裁の話がきたときはそれを引き受ける自信がなかったのだと思いますが、上海―日本を繋ぐ弾丸列車という巨大な夢を引き継いだ息子さん(島秀雄の父親は弾丸列車の設計者)がいると知り、この人の力を借りれば協同で何とかなる、実現できると思った、そこからこのドラマが展開していきます。日本経済の回復に貢献した人は沢山いるが、地の底に潜って、心底日本の経済を回復させようという夢を持っていた島さん、そして十河さんの力もあると思う。このドラマを通して、自分の生き様を見て欲しいと思い、是非やらせて頂きたいと思いました。
 このドラマの中で、十河さんが島さんを名ゼリフで口説いているところがあります。
 島が「夢を追うには、遅すぎます」と言うのに対し、十河が「何を言うか!夢を持たない若者はじじい、夢をもっているじじいこそ本物の若者なのだ」という内容の箇所です。これが、このドラマの大きなテーマの1つではないでしょうか。



Q:40年前、新幹線が開通した頃の記憶は?


<三國>
 鉄道の高速化によって日本経済は大きく転換しました。新幹線の経済復興に対する功績はとても大きいのです。そのことを再認識してもらって、次世代につなげたいです。

<松本>

 私は、今年で62歳になります。40年前といえば、22歳の時。ちょうど、ミュージカルがだんだん増えてきた頃で、私も初めて歌舞伎役者として、「王様と私」に出演していました。相手役は越路吹雪さんでした。



Q:このドラマのテーマは「夢を持ちつづけること」ですが、お二人の現在の夢は?

<三國>
 私は、26歳ぐらいまで、田舎の県庁の役人をしてきました。その前は、戦地に行っていたし、その後はルンペンをしていたり、嘘八百をつきながら生きてきました。それから、50年以上が過ぎ、現在のこの仕事をしています。これまで、5年周期ぐらいに、この仕事は自分の人生に意味をもつのかどうか、絶えず迷ってきましたが、最近は、50代には50代の芝居、60代には60代の芝居、70代には70代、80代には80代の芝居しかできないと思えるようになりました。僕の今の目標は、「200本の映画に出演する」ということ。そうすれば、この仕事をやったという喜びを最後に喜びを感じながら、肉親とさよならできるような気がします。

<松本>
 歌舞伎の家庭に生まれ育ち、いろんな意味で恵まれた幸せな環境でしたが、「夢を持つ」という事の意味がはっきりわからなかった自分がいたように、今は思います。27歳でミュージカル「ラ・マンチャの男」に出合って、ドン・キホーテ役をした時に、「夢に溺れて現実を見ないもの狂気だ、現実のみを追って夢を持たないもの狂気だ、しかし一番憎むべき狂気は、あるがままの人生に折り合いだけつけて、あるべき姿のために戦わない事だ」という設定をテーマとしてずっとやり続けてきました。僕の持つイメージでは、夢はただ語るだけのものではなく、ただ夢見るものでもなく、その夢を叶えようとする心意気だと思います。その心意気さえ持ち続ければ、夢は叶うのだという事が「ラ・マンチャ」を演じ続けて得たことです。自分にとっての夢は、今もその夢を追い求め続けることです。



Q:演じる中で、一番苦しい部分は?


<三國>

 昔一緒に仕事をさせて頂いた阪妻(阪東妻三郎)さんと同じように、十河さんも自分の夢への道を苦しみながら、辿った人だと思います。十河さんは戦後、満鉄時代に国のいいなりになってきた生き方に大きな疑問を戦後持ったのではないでしょうか、それで再就職を一切しなかった。食う物も食わず、嫁のキクさんと近所からもらいものをしたりして、田舎で生活をしていた。キクさんは十河の物の感じ方を理解していたんだと思います。遊んで、食べて、好きなようにして下さい、と。そんな十河とキクの夫婦関係は、戦後のそれとはかなり違っていたと思います。
 新幹線をつくる際、十河は自分自身をよく知っていて、ここから先は自分にはできないというところを知っていた。それでも自分の「使命=夢」を分かっていて、その使命を貫き通すためには誰かがいるはずだと分かっていた。それが島さんだったのです。
 経済回復には欠かせなかった交通網を作り上げた十河さんと島さんではありましたが、現在のような鉄筋コンクリートや埋立地は、果たして健康的なのか。行き過ぎではないでしょうか。もっと深く考えていかないと、戦争以前、それ以上の落とし穴に落ちていく可能性があるということを、このドラマを通じて日本人に示唆したいとも思っています。 

<松本>
 時代とのズレではないでしょうか。半世紀近く前に、高速列車を走らせるということは、当時の一般の方々とかなりのズレや誤解があったと思います。しかも、55歳を過ぎて、またスタート地点に戻るということも大変だったと思います。島さんと十河さんの心意気は、素晴らしい。人は、どんな目に遭ったかではなく、その時に、どういう決断をしたかが大事。彼らがやらなければ、今の新幹線はなかった。そういう意味では、時代とのズレというか、先に行き過ぎても遅れてもいけないと思いますが、その中で自分の信念を貫いたことは、島さんは素敵な人だったと思います。