昭和39(1964)年4月、弊社テレビ東京は6番目の在京テレビ局として開局した。

 昭和30年代の日本は、敗戦の傷跡も癒え、戦後復興から高度経済成長期へと飛躍しようとしていた。そして、それは昭和39(1964)年10月に開催された大国家プロジェクト「東京オリンピック」によって実を結ぶ。“アジア初の五輪”に向け、競技場や道路の整備、高速道路の建設と、東京は大きな変貌を遂げていった。

  そしてこの年、もう1つ、日本を変えた大プロジェクトが完成した。

  それが、『新幹線』だった。

  オリンピックに間に合うよう、開発を進められたこのプロジェクトが完成したのは、オリンピック開催の9日前のことだった。東京―大阪間を8時間から3時間へと飛躍的に短縮し、「時速250キロ」という当時不可能とされていたスピードで走る新幹線に、人々は鉄道の未来だけでなく、日本そのものの可能性を広げる夢を実感した。新幹線は日本人の生活のみならず、世界の鉄道、ひいては世界中の人々の生活にまで影響を与えたと言える。

  このドラマは、新幹線を通そうという夢に向かって走りつづけた男たちの物語である。

  新幹線を設計したのは、D51やC62など鉄道史に残る名機を設計した、伝説の天才技士・島秀雄。

  既に国鉄を引退していた島だったが、戦前に計画された夢の弾丸列車・新幹線にもう一度夢を託すことを決意し、4年後に国鉄に復帰。新幹線の設計を始める。

  そして、島をもう一度国鉄に呼び戻したのが、第4代国鉄総裁・十河信二。当時71歳、既に引退していた十河は「最後のご奉公」と約30年ぶりに国鉄に復帰。新幹線を通すための政治・金銭面、さらには世論の操作など、調整の全て請け負った。

  2人を中心とするスタッフたちは、日本人の生活を甦らせ、日本国民の誇りを取り戻す夢のプロジェクト・新幹線を通す夢に向かって、走り始める。

  しかし、この大プロジェクトも完成に到るまでの道のりは決して平坦なものではなかった。政治家の「我田引水」ならぬ「我田引鉄」の思惑、国鉄内部の激化する労使内紛、莫大な資金調達問題、そして車社会に席巻される鉄道不要論など、様々な障害が立ちはだかる・・・。

「20歳でも夢を持たない者はオイボレ、100歳でも夢を追う奴は青年だ!」

  若者ではなく、70歳代と50歳代の男たちを夢に向かわせたものは何か?彼らはいかなる困難な状況で問題を克服していったのか?単なる開発物語でなく、時代に流されることなく、前に進んでいく人間ドラマを描くことで、時代を超えたロマンを描きたい。

<原 作> 高橋団吉著「新幹線を作った男 島秀雄物語」(小学館刊)
<脚 本> 矢島正雄 
  「人間交差点(ドラマ・コミック原作脚本)」
  「少年たち」(NHK・上川隆也主演)
  「松本清張没後10年企画 張り込み」(ANB・ビートたけし主演)
  「教師びんびん物語」(CX)
  「凛々と(NHK・朝の連続テレビ小説)」
  「アフリカの蹄」(NHK・テレビ放送50年記念)
<演 出> 高橋一郎 
 「淋しいのはおまえだけじゃない」(TBS・芸術祭テレビ大賞)
 「ふぞろいの林檎たち3(TBS・山田太一脚本)」
 「悲しくてやりきれない(TBS・山田太一脚本、ギャラクシー賞選奨受賞作品)
 「月曜ドラマスペシャル 今夜もテレビで眠れない」
   (TBS・3話オムニバス・山田太一、市川森一、早坂暁脚本)
 「春が来た」
 「ゆうれい、貸します」(ともにNHK金曜時代劇)
<音 楽> 渡辺 貞夫