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2015年2月19日 放送
山形から全国へ!
究極のおいしさ目指す"食のブランド"

- セゾンファクトリー 齋藤 峰彰(さいとう みねあき)
松坂屋、伊勢丹、大丸...全国の名だたる高級百貨店のデパ地下で、1本4000円のジュースや3000円のジャムが飛ぶように売れている店がある。その名は「セゾンファクトリー」。ジャム、ジュースだけでなく、ドレッシング、調味料など、最高級の素材を手作りで作る"本物"志向で、幅広い客層を掴んでいる。今や全国に約30店舗を構えるが、その本社を訪ねてみると、山形・米沢駅から車で30分の雪深い山の中。周辺には民家1つない・・・。しかし、社長の齋藤峰彰は山形にこだわり、山形から商品を発信し続けている。東北の山奥からでも「高くて売れる商品」を続々ヒットさせる、その極意に迫る!
社長の金言
- 本当のおいしさは
生産者への敬意で決まるTweet
-
RYU’S EYE
座右の銘
放送内容詳細
『オール山形』で全国に逸品を!
名古屋松坂屋。老舗百貨店のデパ地下で、ひときわ賑わうお店が!3000円のジャムや4000円のジュースなど高価な 商品が飛ぶように売れている。お店は「セゾンファクトリー」。本社は山形・米沢の雪深い山の中。工場をのぞいてみると…、商品作りは、ほぼ手作業。地元山形のスタッフが、素材の皮むきから加工、瓶詰めやラベル貼りに至るまですべて手でやっている。素材も地元・山形が中心だ。こだわりの農家が作った蜜たっぷりのリンゴは濃厚ジュースに。さらに雪の中でみずみずしい甘さを保った雪かぶり大根は、その日のうちに「すりおろしポン酢」として商品にし、全国に出荷する。 セゾンファクトリーは、オール山形にこだわり、ハイクオリティな商品を全国に発信し続けている。
各地の本物にさらなる価値をつけろ!
齋藤の実家は代々醤油を作っていた。長男だった齋藤は「当然自分が継ぐものだ」と東京農大醸造学科に進む。21歳の時、家業を継ぐために帰郷したが、2年後に経営破綻。齋藤は父が残した借金を返済するため、ジャムの製造で再起することにした。学生時代に長野で買ったジャムが強烈に美味しかったという素朴な理由と、質の高い果物なら山形にでもたくさんある、との思いから。蔵の片隅で、たった1人、一斗缶とガス台で研究する日々…。試行錯誤の末、納得のいくジャムが作れるようになったという。そして素材にも徹底的にこだわり、高くても売れる食品づくりに挑むため、1989年実弟とともにセゾンファクトリーを設立。弟はその後他界するが、齋藤は志を今も貫き、ヒット商品を生み出し続けている。そんなセゾンファクトリーには全国から“おらが村”の素材で商品を作って欲しいという売り込みが断たない。去年12月、山形にやってきたのはJA栃木。高級イチゴ“とちおとめ”をジャムとして商品化できないという相談だった。しかし齋藤は、栃木が開発したばかりの超高級イチゴ“スカイベリー”でジャムを作りたいと逆提案。自ら栃木に行き、素材にほれ込んだ齋藤は、超高級のイチゴジャムを作ることを決断する。これまでにない、究極の商品づくりが始まった!
新たなおいしさ“スイーツ”を山形から全国へ!
セゾンファクトリーが今後力を入れたいと意気込むのがスイーツ。食のブランドになるために、どうしてもスイーツをラインナップに加えたいと研究してきた。そしてようやく納得のいく素材が見つかった。山形のこだわり卵と牛乳、それにイタリアのチーズをふんだんに使って開発した「マスカルポーネクリームチーズケーキのプリン」。小さなガラス瓶に入って一つ500円ほど。齋藤はこれを全国にしかも通年で広めたいと考えた。工場を案内してもらうと、ある投資をしていた。それは素材の細胞を壊さない最新の冷凍技術を持った4000万円の機械。この技術があれば、鮮度を落とすことなく、全国の店舗に大量の商品を届けることができる。狙うはスイーツ商戦が盛り上がるバレンタインデー。山形から全国に新たなおいしさを届けたい・・・その挑戦を追う!
ゲストプロフィール
齋藤 峰彰
- セゾンファクトリー 齋藤 峰彰(さいとう みねあき)
- 1950年山形県高畠町生まれ。
- 1989年弟と共にセゾンファクトリーを設立。副社長に
- 2003年大丸札幌店内に「セゾンファクトリー」開設
- 2008年創業社長、齋藤明彦が逝去
- 共同創業者齋藤峰彰 代表取締役社長に就任
企業プロフィール
- 所在地 :山形県東置賜郡高畠町大字元和田1566
- 設立 :1989年4月
- 従業員数:260名
- 売上高 :32億900万円(平成25年2月期)
- 店舗 :全国約30店舗(大丸、松坂屋、伊勢丹、三越、高島屋、阪神百貨店、阪急百貨店など)

おしゃれな会社だ。会社名も、商品も、店舗デザインも、高級感にあふれ洗練されている。だが、セゾンファクトリーは、泥臭く、地道な努力の果てに生まれた。東北・山形、実家の蔵、ガスコンロと一斗缶でのジャム作りの試行錯誤、すべては、そこからはじまったのだ。デパ地下への進出も、それこそ身体を張っての真剣勝負の末に成し遂げられた。だが、そんな苦労を齋藤さんは表に出さない。そんなこと当たり前、そう思っているからだろう。わたしは、毎日セゾンファクトリーのドレッシングで野菜を食べるようになった。圧倒的においしいし、しかも飽きない。