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2020年4月9日 放送
『世界を変える医療 第1弾
ボランティアが殺到!どんな患者も断らないNPO』

- ジャパンハート 最高顧問・小児外科医 𠮷岡 秀人(よしおか ひでと)
「世界を変える医療第1弾」は、東南アジアで15年以上にわたり医療活動などを続けるNPO法人ジャパンハート。これまで救ってきた患者は20万人以上。今では医師や看護師など年間800人以上のボランティアが参加する。大勢のボランティアがやってくる理由は、参加のハードルが高くないこと。
はじめは1人で活動を始めた創設者の𠮷岡。「どんな患者も断らない」を信条に治療を続けてきた。1人でも多く救うには「組織」が必要で、ボランティアで運営できる仕組みを作り上げた。「医療の届かないところに医療を届ける」という活動は国内でも展開。持続できるNPOとは?ジャパンハートの活動に密着した。
社長の金言
- 与える側に回れば 必ず社会から必要とされるTweet
RYU’S EYE
座右の銘
放送内容詳細
リピーターも!ボランティアが殺到する理由
ジャパンハートに参加するボランティアは国内の病院に勤務する医師や看護師がほとんど。週末や有休を使ってジャパンハートのボランティアとしてミャンマーやカンボジアに赴く。参加日数は1泊2日からでも可能なのだ。渡航費用などはもちろん全て自腹。ミャンマーで1週間参加した場合は約20万円かかる。それでも何度も参加する医師もいるなど、今では年間800人以上が参加する。参加者は「参加のハードルが高くなかった」という。かつて、海外のボランティアというと、仕事を辞めて長期間参加などハードルが高かった。
創設者の𠮷岡が「何も捨てなくていい」と言う。それがジャパンハート が継続していく強さの1つでもあるのだ。
20万人を救った小児科医「どんな患者も断らない」
大阪生まれの𠮷岡。「困窮している人を救いたい」と医師を志す。
救急救命医として学んだ後、初めてミャンマーを訪れたのは1995年。
第2次世界大戦の慰霊団に同行したことがきっかけだった。13万7000人の兵士が亡くなった一方で負傷した日本兵がミャンマーの方々に看病や食事などでお世話になっていた。日本人遺族からミャンマーに恩返しをしてほしいと言われ、医療活動を始めることを決意した。当初はたった一人で始まった医療活動。しかし、目の前の患者を救えないこともあり、医療の技術不足を痛感。
一旦日本に帰国し、小児外科の修行をする。そして2004年にミャンマーでジャパンハートを設立。「どんな患者も断らない」と決心。徐々に支援の輪も広がり始めた。設立以来、治療してきた患者はのべ20万人以上。2016年にはカンボジアに拠点病院となる「ジャパンハート医療センター」を設立。さらに院内に小児がんの専門病棟も建設。今では、日本の大学病院が小児医療の研修の場としてカンボジアに来るようになり、チームで診療を続けている。
ジャパンハートが日本の医療を変える
ジャパンハートは日本国内でも医療支援活動を開始。特に力を入れているのが「RIKA job」という取り組み。人手不足の離島やへき地の病院と、地域医療の現場で経験を積みたいという看護師をつなぐ活動で、最短3ヶ月から参加できる。ボランティアではなく、病院から給与も出る。
現在約300人の看護師が全国10箇所以上の病院で働いている。「医療の届かないところに医療を届ける」というジャパンハートの理念は今、国内外の枠を超えて広がりつつある。
ゲストプロフィール
𠮷岡 秀人
- 1965年大阪府吹田市生まれ
大分大学医学部卒業後、
救急病院での勤務や
ミャンマーでの活動を経て、 - 2004年国際医療ボランティア団体
「ジャパンハート」設立
企業プロフィール
- 本 社:東京都台東区1-33-6
- 設 立:2004年
- 人 数:年間800人以上のボランティア

「質の高い人生」と𠮷岡先生は言う。そのために自腹を切るのは当然のことだと。説得力がある。自分で得た言葉だからだ。「医療は経済抜きでは発展しない」「お金が集まるところに人が集まり、そこに物や情報が集まる」「それこそが医療発展の源泉」「いつの日か私たちそれぞれが、やがて死の床に就いた時、存在する価値が確かにあったのだと、自分の人生の価値をきっと再認識するだろう」趣味ってありますか、と控え室で聞いた。働いているところ以外、イメージできなかったのだ。読書はしますよ、と先生は笑顔で答えた。