三菱重工名古屋硬式野球部 67年の歴史に幕、廃部前最後の大会とそれぞれが進む道

野球

2020.11.25


キャプテン吉田承太.jpg

そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない

三菱重工名古屋は歴史も実力もあるチームだ。
ソフトバンクで盗塁王になった本多雄一や、巨人で先発陣の一角を担った高木勇人を輩出している。

19歳から38歳まで、25人の選手が所属する野球部。
今年2月、三菱重工系列の野球部が再編される中、横浜と神戸が残り、名古屋は事実上の廃部になることを告げられた。

会社は選手たちに二つの選択肢を用意した。横浜か神戸、2つの系列チームに移籍するか。それとも引退して名古屋にとどまり、社業に専念するか。
若くて身軽な若手と、家庭を持つベテランとでは、事情は一様ではなかった。

キャプテン・吉田承太

キャプテン吉田承太を仲間はチームの精神的支柱と認める。勝負強さという名の心の強さを持つ34歳。

【動画】駒田「バカヤロウ!」日本S 巨人悪夢の3連敗 89年大逆転の再来なるか!?

彼にとってチームがなくなるのは人生二度目の経験になる。34歳で新天地はきつい。引退すると心を決めた。
ならばチームを愛したまま胸を張って終わりたい。直筆のメッセージを皆に送った。
「最高の最後に。日本一をともに目指そう」と。

引退を決めるベテランは多かったが、最も複雑だったのは余力を残す中堅だ。

29歳の右腕・西納敦史

29歳の右腕、西納敦史はその一人。チームでの通り名は"困った時の西納"。リリーフとして幾多のピンチを封じてきた。

29歳の右腕、西納敦史.jpg

内密に廃部が伝えられてからわずか三日後。部のOB、元巨人・高木勇人を囲む食事会で高木は西納に強く現役続行を勧めた。大先輩の言葉は胸に響いた。迷う中、富山の企業が持つ野球部に希望を感じて移籍を決めた。系列チームに飲み込まれるより自分らしさを出せると思った。

31歳・山田敬介

最後の大会、都市対抗の予選まであと2週間。31歳になる山田敬介は医師に相談を持ちかけていた。

31歳になる山田敬介.jpg

体はボロボロでも結果は残してきた。この10年、身も心もチームに捧げてきた。今痛むのは左ひざで、だましだましのプレーが続く。手術して移籍すれば、来季も野球ができる。

しかしそれは拒んだ。
手術したらチームの最後に間に合わないからだ。最後のプレーを家族に捧げたい。これまで支えてくれた妻と二人の子供たちに「ありがとう」をプレーで伝えたい。

9月。都市対抗野球の地方2次予選が始まった。参加16チーム中、上位6チームに入れば東京ドームでの本戦に進める。同じユニフォームを着られる最後の大会。最高の最後を目指す男たちは一丸となって走り出した。

終わってみれば7対0の圧勝。予選通過へ、手ごたえはあった。

しかし、続く試合の相手は優勝候補筆頭のトヨタ自動車。ここであえなく大敗すると、力みが空回りして2連敗。次負ければ予選敗退となりチームの歴史は終わる。

運命の一戦

予選4試合目も強敵が相手。勝ったほうが東京ドームの本戦に進むと見られていた試合は息詰まる投手戦となった。
チームは5回、1アウト満塁のピンチを迎えた。ここで、困った時の西納が登板。犠牲フライは許したが後続を断ち、役目を果たした。
チームを活気づけたい局面に代打で登場したのは頼れるキャプテン、吉田。けれど、ヒットが遠い。東京ドームが遠い。

8回にも2点を失い最終回の攻撃。家族が見守る中、山田の打席だったのだがここで監督は代打を送る。
代わることも、託すことも野球の一部。待つことも、信じることも野球の一部。

三菱重工名古屋硬式野球部は67年の歴史に幕を下ろした。野球でつながった男たちは戦い抜いたことを勲章に最後の時を分かち合った。

十日後。写真撮影で最後のユニフォーム姿。

集合写真.jpg

やめる者、続ける者。この先はそれぞれの道に進む。
最後の時を戦い抜いた誇りを胸に。