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2016年5月26日 放送
"信頼"が商売を広げる!
博多名物を生んだ「ふくや」感動経営術

- ふくや 社長 川原 正孝(かわはら まさたか)
福岡・博多と言えば...モツ鍋、水炊き、とんこつラーメンなど、グルメな人達をうならせる国内屈指の食の街。そんな食の宝庫とも言える博多で、地元・博多っ子がこだわる食材の一つが「博多名物・明太子」だ。福岡県内だけで150以上のメーカーが切磋琢磨し、味を競い合っている。その「明太子」の激戦区で売り上げNO.1に君臨するのが、地元客からの絶大な信頼を得ている「ふくや」だ。実は、この「ふくや」は、10年近くに及ぶ試行錯誤の末、現在の明太子を生み出したパイオニア企業。そして、その作り方を地元のライバルメーカーに無償で教えることで「明太子」を博多名物に育てあげた企業でもある。自らの利益だけを追求せず、地域と共に生きる道を選んだ「ふくや」の知られざる感動経営術。その本当の狙いと、「ふくや」が目指す会社のあり方を徹底取材した!
社長の金言
- 利益を出す目的は 税金を納め 雇用を守るためTweet
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RYU’S EYE
座右の銘
放送内容詳細
博多名物!明太子を生んだ老舗メーカー「ふくや」
博多のご当地グルメの代表「明太子」で売上高NO.1に君臨する「ふくや」。実は、いま日本で普及している「明太子」を生み出したのが「ふくや」創業者・川原俊夫である。戦後、韓国の釜山から引き上げ、食料品卸の店を始めた俊夫は「皆に喜んで食べてもらえる惣菜を作りたい」と、幼い頃に韓国で食べた「スケトウダラの卵のキムチ漬」をヒントに試行錯誤を繰り返し、10年近い歳月をかけて、現在の明太子の原型となる「味の明太子」を生み出したのだ。しかも、その作り方を独り占めせず、ライバル店に惜しみなく公開していったという。実は、「ふくや」が作り方を公開したことで、明太子は博多名物になったのだ。 明太子を生み出し、広めた「ふくや」は、今も博多っ子から絶大な信頼を得ている。事実、150社とも言われる明太子メーカーの中で、売上高トップを長年にわたって維持しているという。なぜ、「ふくや」は地元客から絶大な信頼を得られるのか?創業から変わらず地元客に愛され続けてきた「ふくや」の知られざる戦略に迫る!
「強い会社」と「良い会社」を目指す「ふくや」の大胆戦略!
「ふくや」の4代目社長・正孝が目指す企業像は、単純に「売り上げを伸ばしていく企業」ではない。「ふくや」が本当に目指しているもの、それは「地域への恩返しができる企業」だという。実は「ふくや」を創業した俊夫は、第二次世界大戦を経験した人物。その体験から、俊夫は残った命を「地域の人への恩返しに使いたい」と強く考え、「ふくや」を起業した。そして、そんな創業者の意思を受け継いだ4代目社長の正孝も、その信念を貫いているのだ。「地域への恩返し」を行うためには、会社は存続しなければならない。存続するためには利益を確保しなければいけない。そんな独自のロジックで「ふくや」は、これまで経営を続けてきたのだ。そして、その理念を実現するために「ふくや」が選んだのが、地域との共生戦略だった。企業は地域と、どう向き合うべきなのか?「ふくや」の独自すぎるサバイバル術を取材した。
九州の美味いモノを掘り起こせ!「ふくや」が仕掛ける地域活性化策
地域と共に成長することを目指す「ふくや」は、今、地元・福岡だけに留まらず、九州全体を地元と捉えて、共に成長を目指す新たな仕掛けを打ち出している。その舞台が「ふくや」のルーツでもある食料品卸から派生した業務用スーパー「たべごろ百旬館」だ。この店には「ふくや」のバイヤーが集めてきた九州各地の珍しい食材がズラリと並ぶ。客の大半はプロの料理人たち。彼らにその食材を使ってもらうことで、地元住民や観光客に「九州の新たな食の魅力」を広めていこうという狙いだ。さらに、こうした地域の飲食店とのつながりを活かして、いま「ふくや」は生産地の応援にまで乗り出していた。九州全体を舞台にした「ふくや」の次なる共生戦略、その可能性を探る!
ゲストプロフィール
川原 正孝
- 1950年福岡県生まれ
- 1973年甲南大学経営学部 卒業
福岡相互銀行 入行 - 1979年ふくや入社
- 1997年社長就任
企業プロフィール
- 創業 :1948年
- 従業員数:635人(社員数203人)
- 売上高 :149億円 ※2015年度
- 主な事業:明太子の製造・販売
- 食料品の卸・小売り

相撲好きだった祖父は、九州場所で福岡に行くと、必ず「味の明太子」を買った。当時の佐世保の明太子と違って、色も香りも味も上品だった。わたしは子ども心に、きっとお金持ちが作っているんだろうと思っていた。そうではなかった。「ふくや」は、戦争引き上げの創業者が、ひたすらおいしいものを提供し、世に貢献するために創業した。製造技術をオープンにすることで市場が拡大するというビジネスの王道を貫いた。その経営理念は脈々と受け継がれ、明太子は、珍味ではなく、庶民の総菜として、広く、深く、今も親しまれている。