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2020年12月10日 放送
バウムクーヘン100年
職人とAIで菓子業界を救え!

- ユーハイム 社長 河本 英雄(かわもと ひでお)
日本にバウムクーヘンを伝えたカール・ユーハイムから100年...世界一多種多様なバウムクーヘンを生み出した日本の菓子業界で、攻め続けるユーハイム。実は、人気スイーツ店の黒子も任されるほどの菓子職人集団なのだ。「お菓子は平和の証」をモットーに職人たちが守ってきた菓子作りを今、どう進化させようとしているのか?菓子業界のレジェンド・ユーハイムの強さの秘密!
社長の金言
- 菓子作りで自分自身も成長するTweet
RYU’S EYE
座右の銘
放送内容詳細
人気スイーツ店の黒子…実は老舗ユーハイム!大手なのに「職人技」にこだわる理由
渋谷スクランブルスクエア自慢のスイーツフロア。そこにある日本初上陸、パリ7区の「モリ・ヨシダ」、味覚の魔術師「フィリップ・コンティチーニ」、さらにドイツの老舗パティスリー「グマイナー」。実はこれらのスイーツ、全て同じ工場で作られている。それが老舗洋菓子メーカー・ユーハイム船橋工場。実はここにいる高度な菓子職人たちが、世界中の美しい味わいを作り上げる上で不可欠なのだ。ユーハイムは、洋菓子メーカーとしては大手なのに、工場にも職人を数多く配置、大量生産に偏らない菓子作りにこだわりつづけている。さらに、日持ちのする保存料の使用も極力減らすなど、「大手=大量生産」とは一線を画するスタンスをとっている。その究極系として今取り組むのが「純正自然」の取り組み。スイーツの生クリームの原料など、あらゆる原料を遡って一切添加物を使わない「純正」のお菓子作りを進めているのだ。大手らしからぬ独自戦略の秘密とは?
捕虜として日本にやってきたユーハイム…原爆ドームで最初のバウムクーヘンを売る
ユーハイムが力を入れるのが、2016年から始めた業界総出の「バウムクーヘン博覧会」。出品されるバウムクーヘンは230種類。そこまで多種多様な商品があるのは世界中でも日本だけ。そんな日本にバウムクーヘンの第一歩を印したのがユーハイムの名前の由来である、カール・ユーハイムだ。ドイツ生まれの菓子職人ユーハイムは1909年、ドイツの租借地である中国・青島で菓子店を営業していたが、第一次世界大戦で非戦闘員だったにもかかわらず、日本軍の捕虜になり大阪へ。その後、ドイツ人捕虜が広島でドイツに関する商品の展示会をすることになり、ユーハイムは広島県物産陳列館(原爆ドーム)で日本初のバウムクーヘンを販売する。そんなユーハイムの菓子作りを受け継ぐことになったのが、現社長河本の祖父である河本春男だった。今やドイツでは、知る人は少なくなったバウムクーヘンは、なぜ日本で花開いたのか、ユーハイムの知られざる物語とは
町の洋菓子店を救え!職人のバウムをAIで再現できるか?ハイテク焼成機
今、社長の河本が没頭するのが、職人技の難しいバウムクーヘン作りをAIに学ばせる、AI焼成機の開発。コロナもあり、減少が続く町の洋菓子店復活の切り札として、ハイテクマシン開発は成功するのか?
ゲストプロフィール
河本 英雄
- 1969年兵庫県生まれ
- 1999年慶應義塾大学大学院卒業、ユーハイム入社
- 2000年取締役就任
- 2015年社長就任
企業プロフィール
- 本 社:神戸市中央区港島中町7-7-4
- 設 立:1909年
- 年 商:306億円(2019年3月期)
- 従業員:522名(2019年4月)

ユーハイムは1909年、ドイツ人のカール・ユーハイムが中国・青島で菓子店を開いたことに始まる。第一次大戦中に捕虜として日本に連れてこられた。1919年、捕虜が作ったものを展示・販売する催しがあり、カールもバウムクーヘンを出品、日本人は木をかたどった菓子を喜んだ。以来、約100年間、ユーハイムは、戦争を生き延びた弟子たちが集まり、資金を持ち寄り、エリーゼを日本に呼び寄せ、バウムクーヘンを作り続けた。しかも創業者カールのレシピを守り、お菓子を食べられるのは平和の証しということを信じて。