カンブリア宮殿

金原ひとみ×ヒャダイン 経済トークショー人

毎週木曜日1106分 ~1155
テレビ東京系にて放送中

テレ東BIZで配信中

バックナンバー

2025220日 放送

回転寿司では味わえない!
プチぜいたくな町寿司の逆襲

  • 玉寿司 社長 (なかのり ようへい)

日本には創業100年以上の企業が4万5000社以上あり、世界でも群を抜いた老舗大国といわれている。しかし近年、激しく変化する経済情勢の影響で、倒産する老舗企業や店舗も多い。中でも町に根付いた大衆寿司店は回転寿司チェーン店の勢いに押されたり、高級店と差別化ができず、存在感を失っている。そんな中、「寿司は絶対に回さない」を信念に、客のニーズに寄り添い改革を続け人気を呼ぶのが「玉寿司」だ。社長自ら大衆向けの「町寿司」と呼び、回転寿司や高級寿司店にはない戦略や取り組みで生き残りを図っている。築地発町寿司の奮闘に迫る。

カンブリア宮殿公式アカウントはこちら

社長の金言

  • 経営では「捨て石」と「要石」を見極めることが必要
  • 未公開インタビュー

    未公開インタビュー
  • 座右の銘

放送内容詳細

回転寿司と高級寿司と一線を画す「プチ贅沢」戦略

2018年に市場が豊洲に移転して以来、築地界隈の寿司店は減少している。そんな中、築地で100年続く老舗の玉寿司は「回転寿司では物足りないが、高級店よりも手頃な値段で美味な寿司を味わいたい」という客層を狙い、高コスパの店を展開。回転寿司や高級店との差別化を図り生き残ってきた。その生き残り策が、客にちょっとした贅沢を味わってもらう「プチ贅沢戦略」だ。格安で上質なネタを提供するため、仕入れルートを独自に開拓。静岡の卸業者を通すことでコストを抑えている。例えば、マグロはアイルランド沖の冷たい海流で取れた上質なものを使い、青森県大間産に近い品質のものを選ぶ。そして、おいしい寿司をリーズナブル、かつ存分に味わってもらおうと「食べ放題」サービスも展開。しかも「時間無制限」で上質なネタを提供するという太っ腹な取り組み。さらに、在宅の食事需要の高まりを狙い、個人宅に寿司職人が出向く出張サービスも。寿司店の気分が味わえる屋台を室内に持ち込み、自宅にいながら目の前で板前の握る寿司が味わえる。

負債78億円!新米社長の会社再生物語

玉寿司は大正13年、マグロ問屋をやっていた現社長の中野里の祖父が一念発起し、築地に寿司店を開いたのが始まり。祖父の死後は祖母が2代目として店を繁盛に導いた。父が3代目を継ぐと、魚の仕入れ価格で値段が変動する「時価」が普通だった寿司業界に「明朗会計システム」を導入。また「末広手巻」をヒットさせるなど寿司の大衆化を進め、玉寿司は確固たる人気を誇っていった。現社長の中野里は大学卒業後、アメリカに留学し3年間レストランビジネスを学ぶ。1999年に玉寿司に入社すると、厳しい経営環境を目の当たりにする。バブル時代に購入した不動産が値崩れし78億円もの負債の存在に気付く。会社の利益は利子の返済で手いっぱいとなり倒産寸前に。なんとか資金を工面しようと中野里は金融機関をいくつも回ったが難航し、絶体絶命のピンチに陥る。残された再生への道として、「父の社長辞任」「会社と個人資産を処分」「当時2000万円だった経常利益を翌年から1億5000万円以上にすること」の3つの条件を課されることに。逆境の中、32歳で社長に就任した中野里が取り組んだのが「仕入れ改革」。卸業者との取引にメスを入れ、健全な仕入れ価格にすべく奔走した。そんな時、舞浜にある商業施設「イクスピアリ」への出店依頼の話が舞い込む。中野里は銀行からの反対を押しきって新店舗をオープン。するとファミリー客に狙いを定めたメニューが功を奏し、銀行が予測した2.5倍の売り上げを叩き出した。玉寿司は息を吹き返し、年間利益1億5000万円を達成。その後10年かけて借金を完済した。

寿司職人の育成~3年の修業を3カ月の研修で~

若手世代の人材不足を打破するため、玉寿司は従来の徒弟制度をやめて2017年に「玉寿司大学」と呼ぶ社内研修制度を開始。次世代の寿司職人に「技術力」「接待力」「人間力」を指導し、これまで3年かかっていた修業を3カ月の研修で習得できる仕組みをつくる。

ゲストプロフィール

中野里 陽平

  • 1972年東京都中央区生まれ
  • 1995年学習院大学法学部卒業
  • 1996年アメリカ・デンバー大学に留学し、ホテルレストランマネジメントを学ぶ
  • 1999年帰国 玉寿司入社
  • 2005年代表取締役社長就任

企業プロフィール

  • 住所:東京都中央区築地2-11-26築地MKビル3F
  • 設立:1924年
  • 従業員:約570人(2024年12月)
  • 売上高:約46億円(2024年12月)

村上龍の編集後記

日本橋のまぐろ問屋に生まれた祖父、市場が築地に移転したのをきっかけに、高級すし店を開業。「玉寿司」と名付けた。49歳の若さでこの世を去った「初代」は「玉寿司を頼む」と言い残した。祖母の「こと」さんが「女板前」として店を切り盛りした。1965年に支店の第1号を東急プラザ内に開設。3代目の父親が獲得したテナント。駅ビルとの縁が増し、あっと言う間に店舗数が30を超える。27歳で入社したが借金まみれだった。ローンを返し、3年間の修業を3ヶ月の研修に変えた。1度も寿司を回したことがない。

村上龍の編集後記画像

放送を見逃した方はこちらテレビ東京 ビジネス オンデマンド

バックナンバー

ご注意下さい

最近、「カンブリア宮殿」に出演できると持ちかけて、多額の金銭を要求する業者があるとの情報が寄せられました。
「カンブリア宮殿」を始めとした報道番組が、取材対象者から金銭を受け取って番組を制作することはありませんので、ご注意ください。当社では、あくまで報道番組の視点から番組が独自に取材対象の選定にあたっています。
不審な働きかけがあった場合には、テレビ東京までご連絡ください。