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2014年12月18日 放送
日本人に夢を!栄光と激動の50年
東京ディズニーリゾートの独自戦略

- オリエンタルランド会長兼CEO 加賀見 俊夫(かがみ としお)
年間入園者3100万人を誇り、30周年の去年は過去最高の売り上げを達成した東京ディズニーリゾート(TDR)。客の9割がリピーターであり、「また来たい」と思わせ続けることで繁栄してきた。だが、その強さの秘密は、実はディズニーのキャラクターによる集客力だけではない。独自の戦略でTDRを成功に導いてきたのが、日本のオリエンタルランドだ。創業は1960年。鉄道会社の男たちが「日本にも本格的な娯楽を」と誘致に挑んだのが、この「夢の国」だった。だから、世界に5カ所あるディズニーランドの中で、資本関係のない外部企業が運営するのはTDRだけなのだ。創業当時からつぶさに見てきた会長の加賀見がついに登場、激動の歴史と強さの秘密を語る!
社長の金言
- 発想を変えれば不可能は可能になるTweet
RYU’S EYE
座右の銘
放送内容詳細
客の9割がリピーター!日本人が「また来たくなる」驚異の戦略
オリエンタルランドは、米ディズニー社とのライセンス契約のもとTDRを運営する、東証一部上場の日本企業。客に「また来たい」と思ってもらえるよう、日本独自の戦略を展開してきた。例えば、客を魅了するアトラクションなどには惜しみなく投資。開業後の投資額は5000億円以上に上る。またTDR内のキャラクターグッズは、日本人の好みを知り尽くしたオリエンタルランドがほぼ独自に企画、開発している。だからTDRではグッズの売り上げが1400億円と、チケット収入に次いで多いのだ。 この最強テーマパークを支えるのは、開園から1日も欠かさず続けてきた聞き取り調査などの地道な努力。「日本人による日本人のための」徹底したコンテンツ開発が、成功を生み出している。
戦後の日本…ディズニーランド誘致に挑んだ男たちのドラマ
TDRのある千葉県浦安は、1950年代、のりの養殖が盛んな漁業の町だった。だが水質汚染で漁業が立ち行かなくなり、埋め立て地にレジャー施設の建設計画が持ち上がる。そこに名乗りを上げたのが、京成電鉄と三井不動産などが共同出資したオリエンタルランドだった。机がわずか3つしかない、小さな会社…。 だが当時の社長が「日本にも本格的な娯楽を」と夢を抱き、ディズニーランド誘致へと動き出す。そして幾多の壁を乗り越え、ついに1983年、東京ディズニーランドは開業する。 そんな開業までの困難をつぶさに見てきたのが、現在の会長兼CEO、加賀見俊夫だ。京成電鉄からオリエンタルランドに転籍し、1995年に社長に就任すると、東京ディズニーシーやホテル、ショッピングモールなどを建設。日本一の「リゾート」に作り上げたのは加賀見だ。
1万9000人がアルバイト!会社がスタッフを魅了し、スタッフが客を魅了する!
TDRの客が感動する理由の1つに、「キャスト」による接客レベルの高さがある。実は彼らのほとんどはアルバイト。その数、計1万9000人。だがマニュアルは最低限。何より求められるのは、「客のために何がベストか」を自分の頭で考えて行動すること。 ある日、閉園後のTDRにたくさんの人が。実はこの日はアルバイトをもてなす日。この日ばかりはミッキーたちもアルバイトたちのためだけに踊る。乗り物は乗り放題。もてなすのは、オリエンタルランドの社員だ。「会社がキャストを大事にし、キャストが客を大事にする」という好循環が生まれている。
ゲストプロフィール
加賀見 俊夫
- オリエンタルランド会長兼CEO 加賀見 俊夫(かがみ としお)
- 1936年東京都生まれ。
- 1958年慶応大学法学部卒業、京成電鉄入社
- 1972年出向先のオリエンタルランドに正式入社
- 1995年社長就任
- 2005年会長兼CEOに就任
企業プロフィール
- 1960年創業
- 1979年米ディズニー社と契約調印
- 1983年「東京ディズニーランド」開園
- 2000年商業施設「イクスピアリ」と「ディズニーアンバサダーホテル」開業
- 2001年「東京ディズニーシー」開園
「ディズニーリゾートライン」運行開始 - 2014年10年で5000億円の投資計画を発表

東京ディズニーランドは、簡単にできたのだろうと思っていた。大間違いだった。長く厳しい交渉、万全の安全対策、徹底した従業員教育を経て、「夢の国」は、やっと完成したのだ。しかも、その開発、建設は、たとえば黒部ダムや青函トンネルとは性格が違う。経済・産業基盤ではなく、心を躍らせ、家族や恋人たちの幸福に寄与する、文化的インフラだった。世界で唯一の「ディズニーシー」、その計画中、加賀見さんは「モア、ロマンティック」と繰り返したという。それは、「日本だけに存在するもの」を象徴する言葉だったのだと思う。