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2016年7月28日 放送
産廃業からリサイクル企業へ大変身!
~絶体絶命から会社を変えた2代目女社長の格闘記~

- 石坂産業 社長 石坂 典子(いしざか のりこ)
「この地域から出て行け!」...かつて産廃業者として、住民から反対運動が巻き起こった埼玉県の石坂産業。そんな存続の危機にあった会社を父親から受け継ぎ、改革に乗り出したのは、当時30歳の女性だった。社長に就任した石坂は、半年で社員の4割が辞めていく劇的な改革を断行し、地域の迷惑施設と言われた会社を日本屈指のリサイクル企業に生まれ変わらせたのだ。そして、本社の隣に里山を保全する公園まで作り上げ、地元に愛される会社に育ててきた。父親の思いを胸に、企業を劇的に変えた女性社長の格闘の裏側に迫る!
社長の金言
- 他がやらない技術に特化すれば
差別化できるTweet
-
RYU’S EYE
座右の銘
放送内容詳細
地域住民もトラック運転手も感激の“リサイクル企業”
埼玉県・三芳町で近隣から人を集める自然豊かな公園。散策するだけで色んな生物に出会える里山に、ミニSLさらに水中生物の観察イベントも開かれ家族連れの人気を集めている。そんな公園を作ったのが、隣にある廃棄物を様々なものにリサイクルしている石坂産業だ。毎日、各地から産廃を山積みにしたトラックが行列を作る石坂産業。分別すれば再資源化できるが、その手間を惜しめばゴミとして埋め立てられるしかない産業廃棄物を石坂産業では95%減量化・リサイクルし、資源に変えている。木材の廃材はフカフカの牧場用の敷き藁となり屋根瓦は床材に生まれ変わる。石阪が業界で人気の理由のひとつは、社長の石坂が力を入れる“おもてなし”にある。暑い日には飲み物やキュウリの漬け物が配られ、時には、景品大会まで開かれる。トラック運転手からも地元からも評判のリサイクル会社・石坂産業の秘密に迫る。
風評被害で存続の危機に…産廃屋からリサイクル企業への大改革!
石坂産業が地元に愛される会社を目指したきっかけは、1999年に起きた「所沢ダイオキシン問題」。所沢の農家が、言われなき報道で大打撃を受けたこの問題…農家の怒りの矛先が向かったのが、汚染源と言われた周辺の産廃業者。当時、業界で最先端の焼却炉を導入するなど、リーダー的存在だった石坂の父は、この問題に立ち直れないほどのショックを受ける。その父を助けようと社長就任を申し出たのが、当時、30歳の典子だった。これを機に、石阪産業は焼却処理から撤退。40億円かけて、完全に屋根で密閉され、ほとんど埃を出さないプラントを建設。廃棄物をリサイクルすることにこだわったビジネスへと転換した。さらに社員の意識改革も断行。地元から嫌われていた会社を、清潔で環境にやさしいリサイクル企業へと変えたのだ。
最高のリサイクル技術で世界をキレイに!
世界的に人気のリゾート地・インドネシアのバリ島。実は、この街も廃棄物の処理に悩まされているという。産廃処理工場は悪臭にまみれたゴミの山ができ、街には分別も行われない廃棄物が散乱していた。石坂は、日本で培ったリサイクル技術を世界で役立てるため様々な国を飛び回り、産廃処理後進国での市場開拓に動こうとしている。その思いに迫った。
ゲストプロフィール
石坂 典子
- 1972年東京都生まれ
- 高校卒業後、アメリカに短期留学
- 1992年父親が創業した石坂産業に入社
- 1999年所沢市周辺の農作物がダイオキシン風評被害
- 2002年父親に直談判し社長就任。改革に着手
企業プロフィール
- 本 社:埼玉県三芳町上富緑1589-2
- 創 業:1967年
- 年 商:47億円(2015年度)
- 従業員:150人(グループ企業含む)

消滅するかもしれないという危機的状況から、見事に会社を再生、かつ進化させたのは、典子さんだが、支えたのは、父親で、現会長である好男氏だった。すべてを語ることなく、手取り足取り教えるわけでもなく、事業の継続という最優先事項を、単なる会話ではなく、生き方で示した。「ダンプのにおいがいちばん落ち着く」という典子さんは、幼いころからの体験も活かし、産廃処理の概念さえもポジティブに変えてしまった。だが、「キレイごとでは、地球はキレイにならない」という言葉が示す通り、徹底したリアリストである。