バックナンバー
2018年8月30日 放送
"魔法のタオル"で大逆転!
倒産寸前から復活した感動物語

- 浅野撚糸 社長 浅野 雅己(あさの まさみ)
今、女性の間で噂になっている人気のタオルがある。その名は「エアーかおる」。一般的なタオルより、吸水性、速乾性は1.5倍、洗濯してもボリューム感がなくならず、毛羽落ちも少ないという優れもの。愛用者に聞くと「一回使うと離れられない。普通のタオルは使えない」と口を揃えて言う。中でも一番の売れ筋は、従来のバスタオルの幅を半分のサイズにした「エニータイム」。半分でも吸水性が高いので全身や髪を十分に拭け、洗濯もしやすいと主婦の間で話題となり、2007年6月の発売以来、累計販売枚数、約600万枚を超える大ヒット商品となっている。この人気のタオルを作りあげたのが、岐阜県安八町にある社員18人の中小企業「浅野撚糸」。1969年の創業以来、撚糸の製造を手掛け、下請け企業として成長を遂げてきた浅野撚糸。しかし、かつては、売り上げが半減し倒産の危機に見舞われた時期もあった。そのどん底経営を立て直したのが2代目社長となる浅野雅己。最後まで決して諦めず、オンリーワン商品を開発し、見事、復活を遂げた小さな町工場の大逆転劇の全貌に迫る。
-
RYU’S EYE
座右の銘
放送内容詳細
廃業寸前の「浅野撚糸」と「おぼろタオル」奇跡の復活劇
浅野撚糸がある岐阜県南部は“繊維どころ”として栄えてきた街。浅野撚糸も多くの取引先をもち、地元でも名の知れた企業として成長してきた。浅野は福島大教育学部を卒業後、小・中学校の体育教師となり順風満帆な人生を送っていた。だが、母が病に倒れたことをきっかけに浅野撚糸に入社、1995年、2代目社長に就任した。
就任当時は経営も順調だったが、2000年代に入ると安価な中国製糸が流通し、撚糸業界は衰退の一途を辿る。
浅野撚糸もその煽りを受け7億円あった売上げは2億円まで落ち込み倒産の危機に陥った。先代の父は「廃業しよう」と浅野に声をかける。しかし浅野は「どうせ廃業するなら限界まで挑戦したい」と決意。
そんな矢先、取引先から、使い道に困っていたある糸を紹介される。それはお湯に溶ける「水溶性糸」。浅野はこの糸を使い新たな撚糸の開発に挑み始める。そして2年後、「世界初の撚糸」が誕生する。浅野はこれを、地銀から紹介された三重県の老舗タオルメーカー「おぼろタオル」に持ち込む。しかし、その会社もピーク時から比べ売上が3分の1に激減していた“廃業寸前”の中小企業だった。おぼろタオルの加藤社長は「もう後が無い状況だった、新たなタオルの開発にかけようと思った」と浅野の依頼を承諾。ここから廃業寸前同士の企業がタッグを組み、今までにないタオルの開発が始まった。しかし、そこには大きな壁が待ち受けていた…。世界初のタオル「エアーかおる」が誕生するまでの感動の物語を追った。
世界初!?“和紙の糸”で作るジーンズ
タオルに限らず、幅広い商品に使える撚糸の開発に余念がない浅野が、また新たな撚糸を開発した。
それは「和紙」で出来た糸に水溶性糸とゴムを撚り合わせたもの。最大の特徴は、軽くて伸縮性があることだ。
その撚糸を持って向かったのはジーンズ生地を作るトップメーカー「カイハラ」。浅野が目指すのはこれまでにない「軽くて伸び縮みする」新たなジーンズだ。下請けから脱却した浅野撚糸の快進撃は続く。
ゲストプロフィール
浅野 雅己
- 1960年岐阜県安八町 生まれ
- 1982年福島大学教育学部卒業
- 1986年 中学校体育教論を勤める
- 1987年浅野撚糸に入社
- 1995年代表取締役社長に就任
企業プロフィール
- 創 業:1987年
- 住 所:岐阜県安八郡安八町中 875-1
- 社員数:18人
- 売上高:約9億8千万円(2017年度)
- 事業内容:撚糸製造・タオル販売

「スーパーゼロ」という撚糸の写真を見て、何かに似てるなと思った。DNAだった。それぞれ生命と、衣の源であり、象徴的だ。繊維産業は戦後日本を牽引したが、安価な輸入品により、衰退が続いている。浅野撚糸は、唯一無比の技術に挑み、生き残った。資料を読み、スタジオでも質問したが、わかったのは「撚糸は複雑」それだけだった。「和紙とゴムを撚り合わせる」など、イメージできない。そして、撚糸に限らず、技術には限界がないのかもしれないとも思った。これが限界だとあきらめたら、あらゆることが、そこで終わる。